朝日日本歴史人物事典 「常暁」の解説
常暁
生年:生年不詳
平安前期の真言宗の僧。入唐八家のひとりで,太元帥法を伝えた人物。山城小栗栖(京都市伏見区)あたりの捨て子という。元興寺豊安のもとで養育され出家,次いで空海に師事した。承和5(838)年,遣唐使船に乗り楊州に上陸。栖霊寺の文際から,逆賊調伏,鎮護国家の最秘法で,授法は国禁とされた太元帥法を相承した。さらに伝法阿闍梨となり,翌年帰朝。同7年宇治の法琳寺を太元帥法の道場とし,同年12月常寧殿で初めて修法。仁寿1(851)年太元帥法を後七日御修法(毎年正月8日から14日まで,宮中で玉体安穏・五穀豊穣などを祈願する修法)に準ずる国典とする勅許を獲得した。翌2年1月8日より宮中で例年修するに至り,後七日御修法を凌ぐ勢いで,途中絶えることなく明治4(1871)年まで続いた。常暁自身,抜群の霊力を持ち,斉衡3(856)年の大旱魃のときには太元帥法により祈雨に成功したと伝わる。同法は平将門の乱(939)の際にも,修して霊験あった。著書に『入唐根本大師記』などがある。弟子に寵寿。<参考文献>守山聖真編『文化史上より見たる弘法大師伝』
(正木晃)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報