ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ミカエル3世」の意味・わかりやすい解説
ミカエル3世
ミカエルさんせい
Michael III
[没]867.9.23. コンスタンチノープル
ビザンチン皇帝 (在位 842~867) 。テオフィルスの長男。4歳で即位したが,実務は摂政となった母テオドラと宰相テオクチストスがとる。公会議を開き聖像崇敬を再決定し,聖画像 (→イコン ) 破壊令を廃棄する決定を下した (843) 。叔父バルダスの力をかりて,母とテオクチストスを退け,実権を掌握 (856) 。大学復興など文芸運動を盛んにする一方,僧籍をもたない学者フォチオスを総主教に選んだため (858) ,ローマ教会と対立 (863) ,首都コンスタンチノープルの公会議でローマ教皇ニコラウスに破門の宣告をした (867) 。 860年代にはキュリロスとメトディオスを布教のためスラブに送り,ブルガリアのボリス王もキリスト教に帰依 (864) するなど,ビザンチン文化の影響はバルカン半島に広がった。クーデターにより馬丁出身のバシリウスに実権を握られ,これが副帝 (866) となったのち,867年9月 23日夜寝室で暗殺された。
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