常磐共有墓地(読み)ときわきようゆうぼち

日本歴史地名大系 「常磐共有墓地」の解説

常磐共有墓地
ときわきようゆうぼち

[現在地名]水戸市松本町

桂岸けいがん寺の北にある。寛文六年(一六六六)徳川光圀藩士のために設けた。光圀は強力な宗教統制を行い寺院の整理などを断行、葬祭儀礼改正の一環として坂戸さかど(現酒門町)常葉ときわの両村内に特定の寺院に属さない墓地を作った。「探旧考証」は同年四月の条に「諸士ノ墓所ヲ水戸常葉坂戸ノ両所ニ被仰付且文公家礼ニヨリ喪祭儀略トイフ書ヲ御撰ハセ諸士被下墓所一ケ所墓守弐人ツツ御立一人留高五石ツツ除地被下置候」と記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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