コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

安積澹泊 あさか たんぱく

9件 の用語解説(安積澹泊の意味・用語解説を検索)

美術人名辞典の解説

安積澹泊

江戸中期の儒者。常陸生。水戸藩士貞吉の子。名は覚、字は子先、別号に老圃・常山、通称を覚兵衛・老中居士等。朱舜水に儒学を学び、文章に巧みで特に史学に通じていた。新井白石室鳩巣と親交があり、荻生徂徠とも交わる。元文2年(1737)歿、82才。

出典|(株)思文閣
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉の解説

あさか‐たんぱく【安積澹泊】

[1656~1737]江戸中期の儒学者。名は覚(さとる)。水戸藩士。彰考館総裁として「大日本史」の編纂(へんさん)に従事。主著「大日本史賛藪(さんそう)」。

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

百科事典マイペディアの解説

安積澹泊【あさかたんぱく】

江戸中期の朱子学者。名は覚,字は子先(しせん),通称は覚兵衛(かくべえ)。常陸(ひたち)水戸藩士。朱舜水に学び,史学に長じた。1692年彰考館総裁となって,徳川光圀の《大日本史》の編纂(へんさん)に主導的役割を果たした。
→関連項目栗山潜鋒水戸学

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

安積澹泊 あさか-たんぱく

1656-1738* 江戸時代前期-中期の儒者。
明暦2年11月13日生まれ。安積希斎の子。常陸(ひたち)水戸藩士。朱舜水(しゅ-しゅんすい)の門にまなぶ。元禄(げんろく)6年彰考館の総裁となり,「大日本史」編修につくした。新井白石,室鳩巣(むろ-きゅうそう)らと親交があった。「水戸黄門漫遊記」の格さんのモデルとされる。元文2年12月10日死去。82歳。名は覚。字(あざな)は子先。通称は覚兵衛。別号に老圃,常山など。著作に「大日本史賛藪」「西山遺事」など。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

安積澹泊

没年:元文2.12.10(1738.1.29)
生年:明暦2.11.13(1656.12.28)
江戸中期の儒学者。水戸藩士。名は覚,字は子先,通称は覚兵衛,澹泊は号。希斎と号し詩文をよくした父貞吉の指示で寛文5(1665)年朱舜水の門に入る。天和3(1683)年彰考館編修となり,元禄5(1692)年300石を給され,翌6年彰考館総裁に任じ,藩主徳川光圀のもとで『大日本史』編纂に指導的役割を果たした。正徳4(1714)年には総裁を辞するが,以後も彰考館に勤務して修史事業に尽力。享保12(1727)年から17年にかけては『烈祖成績』の編纂も担当し,老年で視力の衰えが著しいにもかかわらず精魂を傾けてこれを完成した。博識で史学にすぐれていたが,学者としてつねに謙虚な態度を持し,新井白石,室鳩巣,荻生徂徠らとも親交があった。<参考文献>吉田一徳『大日本史紀伝志表撰者考』,『水戸市史』中巻1

(鈴木暎一)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典 第2版の解説

あさかたんぱく【安積澹泊】

1656‐1737(明暦2‐元文2)
江戸中期の儒学者。水戸藩士。字は子先,通称は覚兵衛,澹泊斎また老圃と号し,致仕後老牛と改めた。祖父正信のとき初代藩主徳川頼房に仕え,父貞吉は儒学を好み,詩文をよくした。1665年(寛文5)から朱舜水に師事。70年大番組で200石,75年には小納戸役に進む。83年彰考館編修,92年(元禄5)300石,翌年同館総裁に任ぜられ,2代藩主徳川光圀を助けて《大日本史》の編纂に主導的役割を果たした。1714年(正徳4)総裁を辞したが,その後も本紀・列伝の校訂作業を続け,16年(享保1)から5年間は〈論賛〉の執筆に当たった。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

大辞林 第三版の解説

あさかたんぱく【安積澹泊】

1656~1737) 江戸中期の儒学者。水戸藩士。名は覚、別号は老圃。朱舜水に師事。博学で、特に史学に長じ、彰考館総裁として「大日本史」編纂へんさんに顕著な功績があった。著「大日本史賛藪」「澹泊斎文集」など。

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

安積澹泊
あさかたんぱく

[生]明暦2(1656).11.13. 水戸
[没]元文2(1737).12.6/10. 水戸
江戸時代中期の朱子学者。名は覚,字は子先,通称は覚兵衛,号は澹泊,老圃など。祖父正信,父貞吉ともに水戸藩に仕える。朱舜水に学ぶ。博学能文,ことに史学に長じる。新井白石,室鳩巣と交わる。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

安積澹泊
あさかたんぱく
(1656―1737)

江戸中期の歴史家、水戸藩士。名は覚、字(あざな)は子先(しせん)、通称覚兵衛。澹泊(斎)は号。晩年は老圃(ろうほ)、老牛、碧於亭(へきおてい)とも号した。水戸藩主徳川光圀(みつくに)が招いた明(みん)の儒学者朱舜水(しゅしゅんすい)の門人。1683年(天和3)彰考館編修となり『大日本史』の編纂(へんさん)に従事すること54年に及ぶ。その間1693年(元禄6)には彰考館総裁となった。その生涯の大部分は、佐々十竹(ささじゅうちく)とともに光圀を助けて修史事業に捧(ささ)げられた。後世の創作『水戸黄門漫遊記』の格さんのモデルにされた。禄高(ろくだか)は300石。おもな著書に『大日本史論賛』『烈祖成績』『西山遺事』『湖亭渉筆』『朱文恭遺事』『澹泊斎文集』『澹泊史論』などがある。墓は水戸藩士の常磐原(ときわばら)共有墓地(水戸市末広町)にある。[瀬谷義彦]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典内の安積澹泊の言及

【徳川光圀】より

…また当時の庶民間の旅行ブームや十返舎一九の《東海道中膝栗毛》にならって,光圀の諸国漫遊譚が誕生した。光圀による3回もの蝦夷地渡航や,《大日本史》編纂のため,安積澹泊(あさかたんぱく)(通称覚兵衛。講釈で渥美格之丞。…

※「安積澹泊」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

安積澹泊の関連キーワード水戸光圀竹川政辰萩谷遷喬平蕉斎大関増美栗山潜鋒脇屋蘭室立原蘭渓森尚謙吉田慎斎

今日のキーワード

太陽系外惑星

太陽以外の恒星を回る惑星。その存在を確認する方法として、(1)惑星の重力が引き起こす恒星のわずかなふらつき運動を、ドップラー効果を用いて精密なスペクトル観測により検出する、(2)惑星が恒星の前面を通過...

続きを読む

コトバンク for iPhone