幡長村
はたおさむら
[現在地名]平田町幡長
者結村の北東にあり、近世には長良川右岸沿いに立地。中世には長岡庄(大須庄)に含まれていたとみられ、当地寺島に徳林寺があった(羽島市の→徳林寺)。天正一一年(一五八三)九月一日の織田信雄宛行状(吉村文書)に「下はたおさ」「上はた長」とあり、吉村氏吉に与えられている。同一二年の小牧・長久手の戦では羽柴秀吉方の軍勢が幡長などに陣を構えている(同年六月一〇日「織田信雄書状」同文書)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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