日本大百科全書(ニッポニカ) 「高須藩」の意味・わかりやすい解説
高須藩
たかすはん
美濃(みの)国石津(いしづ)郡高須(岐阜県海津(かいづ)市)に置かれた親藩の小藩。尾張(おわり)藩の支藩。関ヶ原の戦い後、外様(とざま)の徳永、譜代(ふだい)の小笠原(おがさわら)氏が一時領したが、1700年(元禄13)徳川光友(みつとも)の男で信濃(しなの)高取領主松平義行(まつだいらよしゆき)が入封、以後、義孝(よしたか)、義淳(よしあつ)、義敏(よしとし)、義柄(よしえ)、義裕(よしひろ)、勝当(かつまさ)、義居(よしすえ)、義和(よしより)、義建(よしたつ)、義比(よしちか)、義端(よしまさ)、義勇(よしたけ)と続いた。四谷(よつや)(高須)家という。領高は美濃石津、海西(かいさい)、信濃伊那郡のうち3万石。1869年(明治2)版籍奉還、翌年宗藩に併合。領分に山地、低湿地が多く収穫が乏しいうえ、御三家分家の格式を維持せねばならず、藩庫は窮迫しがちであった。そのため、独立の藩でありながら、尾張藩から米金の援助や要職に藩士の出向を受けた。また、領内の治水工事も本藩に頼った。
[林 董一]
『『岐阜県史 通史編近世 上』(1965・岐阜県)』▽『『海津町史』(1969~72・海津町)』▽『林董一著『将軍の座』(1967・新人物往来社)』