徳林寺(読み)とくりんじ

日本歴史地名大系 「徳林寺」の解説

徳林寺
とくりんじ

[現在地名]羽島市桑原町大須 元寺島

真福しんぷく寺跡近くにあり、寺島山と号し、真言宗智山派。本尊不動明王。昭和二六年(一九五一)まで現海津かいづ平田ひらた幡長寺島はたおさてらじまにあり、現在も幡長に飛地境内がある。

寺伝によれば阿保親王七世孫の大江匡衡が尾張守時代に、阿保親王から伝えられた不動明王を安置するため当地に一宇建立、のち真福寺(現名古屋市宝生院)三世土御門任瑜法親王が近江滋賀郡から智証大師作不動明王ならびに雲慶作四天王を勧請して伽藍再建、山号・寺号を付したという。


徳林寺
とくりんじ

[現在地名]大口町余野 寺前

丘の上の森林に囲まれている。大竜山と号し臨済宗妙心寺派。本尊は観世音菩薩。「尾張志」に「昔、当村ノ住士小池与八郎が妻山姥にて福富氏に射殺されし其菩提のために建し寺なれは、俗に山姥寺といふ」と記す。「徇行記」は「恐附会之説也、中古荒廃、小口城主織田氏再建此寺」とし、寺伝では永仁元年(一二九三)智証開基の密寺で空母山徳蓮とくれん寺と号したとする。その後、文明元年(一四六九)小口おぐち城主織田広近が禅寺として再建、寿岳を開山として大竜山徳林寺と改号。


徳林寺
とくりんじ

[現在地名]幡豆町西幡豆 北郷

見影山と号し、浄土宗西山深草派。本尊阿弥陀如来。創建は、宝徳三年(一四五一)とも文明二年(一四七〇)とも、あるいは文明九年とも伝える。融睦を開山とする。由緒に幡豆一帯の領主旗本松平対馬守正朝から正卜に至る位牌所として建立されたと伝え、位牌も現存する。これは創建年次と矛盾するが、以前は見影みかげ山麓にあったものを現在地に移したとも伝え、山号はその名残という。

寛政二年(一七九〇)二月に本堂を再建、同年一一月に入仏供養を行っている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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