幣原坦(読み)しではら たいら

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「幣原坦」の解説

幣原坦 しではら-たいら

1870-1953 明治-昭和時代の教育者,官僚
明治3年9月18日生まれ。幣原喜重郎の兄。東京高師教授,文部省視学官兼東京帝大教授,広島高師校長などをへて,昭和3年台北帝大の初代総長となる。17年南方占領地域への派遣官吏養成機関である興南錬成院の初代院長。戦後,枢密顧問官。昭和28年6月29日死去。82歳。大阪出身。帝国大学卒。

幣原坦 しではら-ひろし

しではら-たいら

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の幣原坦の言及

【沖縄学】より

…初期段階では学術的に未開拓の沖縄に魅せられた研究者の先駆的な業績がある。チェンバレン《琉球語文典及び語彙》(1895),幣原坦《南島沿革史論》(1899),加藤三吾《琉球の研究》(1906‐07)等である。中等学校教師として来島し,多くの研究論文をのこした人の功績も大きい。…

【幣原喜重郎】より

…第1次世界大戦後のワシントン体制のもとで活躍し,当時の日本外交を代表する外交官。憲政会・立憲民政党系の内閣の外相を歴任し,その国際協調主義的な政策は〈幣原外交〉と呼ばれた。第2次大戦後2代目の首相。大阪府生れ。兄の坦(ひろし)(1870‐1953)はのち台北帝大総長。夫人は岩崎弥太郎の娘で加藤高明夫人の妹。 第三高等中学校を経て帝国大学法科大学を1895年に卒業,外交官試験に合格して外務省に入る。仁川,ロンドンなどに在勤ののち本省の電信・取調各課長,取調局長となり,外国人顧問のアメリカ人デニソンHenry W.Denison(1846‐1914)に師事して外交事務に習熟し,屈指の英語力を磨いた。…

※「幣原坦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」