平三郎村(読み)へいさぶろうむら

日本歴史地名大系 「平三郎村」の解説

平三郎村
へいさぶろうむら

[現在地名]喜連川葛城かつらぎ

あら川の河岸段丘上に位置し、水田地帯が広がる。地名の由来は天正一八年(一五九〇)喜連川塩谷氏滅亡後、文禄二年(一五九三)足利(喜連川)氏入部の際、葛城村東部に塩谷氏の遺臣関和泉平三郎仲保に知行所を給して土着させたことによるという。塩谷郡に属し、寛永一〇年(一六三三)葛城村から独立したと伝える。慶安郷帳には平三郎内村とみえ、田高四五石・畑高五四石余。元禄郷帳には平三郎村と記され、高二〇〇石余。近世を通して喜連川藩領。天保期(一八三〇―四四)の家数一〇(改革組合村)、安政年間(一八五四―六〇)の家数一六・人数八一(喜連川町誌)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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