平之村
ひらのむら
[現在地名]厳木町大字平之
作礼山山腹の村。藩政期までは厳木郷から北部の五ヶ山郷への通路にあたっていた。地域の大半が起伏の険しい山岳地で、急な傾斜地にわずかな耕地が造成されている。交通不便な寒村で、冬季はしばしば交通が途絶する。慶長絵図に「天川ノ内 平野村」と記されているが、藩政期は「平之」と記す。初め鳥越も含む。文化一四年(一八一七)幕府領とされた時、村を山と改められたが、明治三年(一八七〇)再び村に改められた。
「松浦記集成」に、鎌倉期は千葉氏の支配地で、五ヶ山城があり、秀島讃岐守が居城したと記す。広瀬村と浦川内村境に郷城越という峠があり、この峠の山に堀切があり、古城跡と伝えられるが、未詳。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 