平塚一号墳・平塚二号墳(読み)ひらつかいちごうふん・ひらつかにごうふん

日本歴史地名大系 「平塚一号墳・平塚二号墳」の解説

平塚一号墳・平塚二号墳
ひらつかいちごうふん・ひらつかにごうふん

[現在地名]奈良市法蓮町

不退ふたい寺の西、平城左京一条三坊一五坪・一六坪に位置した。二基とも西面し、堀を接して南北に隣合い、北を一号墳、南を二号墳とする。両墳とも古くは奈良時代の整地工事、近くは国鉄の敷設工事によって墳丘の大部分を失っていた。一号墳は全長約七〇メートル、前方部長さ一八メートル、幅三〇メートル、後円部径五〇メートルの帆立貝式で周濠をめぐらしていた。出土遺物は濠内から円筒埴輪水鳥・短甲・盾などの形象埴輪

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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