平山下村(読み)ひらやましもむら

日本歴史地名大系 「平山下村」の解説

平山下村
ひらやましもむら

[現在地名]相知町大字平山下

厳木きゆうらぎ川の支流平山川(大川)の谷間の村落で、西方日の河内ひのこうち山、南東に上戸じようこ岳がある。

日の河内山は、天文一三年(一五四四)一一月二三日、竜造寺氏日在ひあり(現伊万里市)の鶴田氏を攻めた時、久保くぼ砦主峯刑部がこの山に待機し、戦闘中の竜造寺軍の側面に突入して竜造寺盛家らを討ち取り大勝を得た。慶長絵図に「高五百三十五石四斗五升 平山村」とあり、藩政期初め上・下に分れる。

戦国末期、鶴田氏は獅子ししヶ城と日在城を結ぶ道の一つとして佐里さり道を開いた。この村は、この道筋にあたる。藩政期、村の年貢などは佐里道を陸路佐里へ運ばれ、そこから松浦川の川舟で、唐津の藩の米蔵に納められた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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