平岡城跡(読み)ひらおかじようあと

日本歴史地名大系 「平岡城跡」の解説

平岡城跡
ひらおかじようあと

[現在地名]本荘市内越 内越

いも川東岸の平野部、平岡の水田中にある。中世後期の城館跡。由利地方の館はほとんどが田地・集落を見下ろす高台にあるが、平岡城のみは平地にある。城主は打越氏で、岩倉いわくら館で敗北し、この地に移ったという。現在も北館きただての字名が残り、福山の長者屋敷ふくやまのちようじややしきにある岩倉館の北方にあるのでこの名があるという。西は芋川をもって自然の防御をなし、北東と南に二重の堀をめぐらした形跡がある。現在内堀の一部が郭の東にわずかに残り、郭は南北に長い変形した長方形である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

関連語 福山 白山

立春から数えて 88日目で,現行暦では5月2日頃にあたる。八十八夜を過ぎればもはや晩霜も終りになるので,農家ではこれを種まきや茶摘み,その他の農作業開始の基準としている。日本では明暦3 (1657) ...

八十八夜の用語解説を読む