日本歴史地名大系 「平方村新田」の解説 平方村新田ひらかたむらしんでん 千葉県:流山市平方村新田[現在地名]流山市平方村新田、埼玉県吉川市平方新田平方村の西、江戸川の東岸に位置する。村域は一部江戸川を越えて、同川の西岸、庄内古(しようないふる)川の東側にまで広がる。享保年中(一七一六―三六)に庄内古川の東側に新たに江戸川を開削したのに伴い平方村の村請新田として成立したといわれる(東葛飾郡誌)。単に平方新田ともいった(天保郷帳など)。寛保二年(一七四二)の小金宿助郷六拾五ヶ村高改帳写(東葛飾郡誌)に村名がみえ、高五七石余で、旗本建部領となっている。本村平方村と同様にのち幕府領となり、同領で幕末に至った(旧高旧領取調帳など)。田地の開発は順次進められ、文政一〇年(一八二七)には請新田を合せて高一一三石余と増加しており(「取締組合村々高覚帳」岡田家文書)、弘化五年(一八四八)の宗門人別帳(利根家文書)によると家数三一・人数二〇六となっている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by