庄内古川(読み)しようないふるかわ

日本歴史地名大系 「庄内古川」の解説

庄内古川
しようないふるかわ

現在は利根川水系中川に含まれるが、もとは下総国庄内領と同国幸手さつて領の境を流れる庄内川で、その上流権現堂ごんげんどう川、下流太日ふとい川と称し、東京湾に注いでいた。太日川の呼称は古くからみえるが、その上流は渡良瀬わたらせ川と利根川合流河川の派川といえる。承和二年(八三五)六月二九日の太政官符(類聚三代格)に「下総国太日河」とあり、崖岸が広遠で橋を造立できないので渡船を二艘から四艘に加増するという。この河津の所在はつまびらかではない。なお住田すみだ(隅田川)の場合は「武蔵下総両国(衍)堺住田河」(同官符)と記されていることに注意される。「更級日記」に「しもつさの国と、武蔵との境にてあるふとゐがはといふがかみの瀬、まつさとのわたりの津に泊まりて、夜ひと夜、舟にてかつがつ物などわたす」とあり、下総・武蔵両国の境を流れていたとしているが、これは思い違いとみられている。「まつさと」は現千葉県松戸市付近とされるものの確かではない。治承四年(一一八〇)一〇月二日、源頼朝は千葉常胤・上総広常らと舟に乗って「大井隅田両河」を渡り、兵三万余騎を率いて武蔵国に入っており(吾妻鏡)隅田すみだ川が国界とみてよかろう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「庄内古川」の意味・わかりやすい解説

庄内古川
しょうないふるかわ

埼玉県東部,江戸川西方にほぼ並行して流れる川。江戸時代以前は旧渡良瀬川の下流部にあたり太日 (ふとひ) 川と呼ばれ,旧利根川の川筋でもあった。利根川の開削後,中川流路となったが,現在も中川中流部の名称となっている。

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世界大百科事典(旧版)内の庄内古川の言及

【中川】より

…それぞれの範囲は明確ではないが,《新編武蔵国風土記稿》には,主として現在の埼玉県内は古利根川,東京都内は中川となっており,明治期の地形図にもこれを裏づける表記がみられる。しかし,今日では古利根川と支流の庄内古川との合流点より下流部を中川と呼ぶことはもちろん,さらに庄内古川とその上流域をも含めて中川と呼んでいる。 越谷市東部で元荒川,八潮市南部で綾瀬川と合流する。…

※「庄内古川」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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