平石城跡(読み)ひらいわじようあと

日本歴史地名大系 「平石城跡」の解説

平石城跡
ひらいわじようあと

[現在地名]河南町平石

金剛山地西麓の標高二四三メートルの丘陵上にある。大和に通ずる平石ひらいし峠西方にあたり、集落と約七〇メートルの比高を有する。東と西に谷が南北に走り、北西部を除くと防御には理想的な地形といえる。発掘調査は行われておらず、石碑によって城跡であることを知るにすぎない。府指定史跡。城ヶ塚・鎮守山の字名が残る。鎌倉時代初期から当地を本貫とし、善成ぜんじよう寺を氏寺としていた平岩(平石)氏の城であったと伝え、その子孫左衛門尉平岩茂直の時に南北朝内乱時代を迎え、河内国南部の重要な城となった。延元元年(一三三六)五月二五日から同二年三月一〇日の合戦を記した南朝方岸和田治氏軍忠状(和田文書)に平石源次郎の名があげられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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