日本歴史地名大系 「平良馬場跡」の解説 平良馬場跡てーらんまいーあと 沖縄県:那覇市旧島尻郡地区平良村平良馬場跡[現在地名]那覇市首里大名町一丁目平良真地(てーらまーじ)とも称する。平良(てーら)村の北部にあった競馬場で、西原(にしばる)間切では我謝馬場(がーじやんまいー)(現西原町)とともに名高い。康熙三四年(一六九五)首里に戯(競)馬場がなかったため平良村の北に開設した。これにより人々は騎馬を行うことができるようになった(「球陽」尚貞王二七年条)。咸豊二年(一八五二)北方にある幹周り約五尺の松に落雷があり、表皮がはがれた(同書尚泰王五年六月一七日条)。馬場の周辺には琉球松が群生していたと考えられる。一八八〇年(明治一三年)の県統計概表によると幅一〇間、面積二町五反五畝。口碑では全長三〇〇メートル・幅一五メートル。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by