朝日日本歴史人物事典 「平親宗」の解説
平親宗
生年:天養1(1144)
平安末・鎌倉初期の公卿。時信と藤原家範の娘の子。時忠の弟,姉妹には平清盛妻時子,建春門院滋子がいる。弁官,蔵人頭を務めた後白河院の近臣で,治承3(1179)年平清盛クーデタで解官。源頼朝に密通した嫌疑を受けたり,平宗盛に叱責されている。寿永2(1183)年参議となるが,木曾義仲により解官。後白河法皇の寵愛深く,九条兼実は親宗について「小人近君,国家擾,誠哉此言」と述べ,当時の政情不安を嘆いた。文治1(1185)年源頼朝により解官。建久9(1198)年には子の和泉守宗信と興福寺の対立から,知行国和泉を失い大嘗会御禊装束司長官を罷免されたが,その後正二位中納言に進む。
(奥田環)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報