改訂新版 世界大百科事典 「平賀氏」の意味・わかりやすい解説
平賀氏 (ひらがうじ)
中世,信濃国佐久郡に所領を持った武家。平安末期に源義家の孫にあたる盛義が,信濃国佐久郡平賀(長野県佐久市)に住したのを始めとする。盛義の子義信は平治の乱(1159)に際し源義朝に従い,治承・寿永の内乱では源頼朝にくみした。鎌倉幕府が成立すると義信は武蔵守に,その子惟義(大内氏)は伊賀守護に,朝雅は伊勢守護に任ぜられ,重用された。朝雅は北条時政の娘婿であったが,1205年(元久2)時政の朝雅将軍擁立策に連坐し,京都で殺された。この後,朝雅の甥(惟義の子)大内惟信が伊賀・伊勢守護となったが,承久の乱(1221)に京方として戦い,配流された。惟信以後は,その子の惟時が鎌倉幕府に仕えていたことが知れる。信濃国関係の平賀氏は,鎌倉末期に平賀次郎入道,応永年間(1394-1428)におこった大塔合戦に参加した平賀氏,佐久地方の伝承ではあるが,戦国時代に武田氏の信濃侵入に際して抵抗した平賀源心等が現れる。しかし鎌倉初期の平賀氏とのつながりは不明であり,系譜も明らかでない。また平賀姓は全国各地に多くみられ,特に安芸国に所領を有した藤姓平賀氏は弘安(1278-88)から文禄(1592-96)までの古文書を伝えている。
執筆者:郷道 哲章
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報