年羹堯(読み)ねんこうぎょう(その他表記)Niyan Geng-yoo; Nien Kêng-yao

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「年羹堯」の意味・わかりやすい解説

年羹堯
ねんこうぎょう
Niyan Geng-yoo; Nien Kêng-yao

[生]?
[没]雍正4(1726)
中国,清朝中期の武将で政治家。字は亮功。号は雙峯。 鑲黄旗漢軍旗人。湖広巡撫年遐齢の子。長じて翰林院に入り,康煕 48 (1709) 年に内閣学士から四川巡撫,同 57年に四川総督となり,辺境の政治と軍事に力を尽した。同 59年のチベット遠征には康煕帝の第 14皇子允だいのもとに平西将軍として参加して三等公の爵位を受け,康煕帝が没し允だいが京師に帰ると撫遠大将軍となり,青海のロプサンタンジンの反乱を平定し,一等公を授けられた。年羹堯の権勢は大きかったが,雍正帝は雍正3 (25) 年にその奏文が不敬であるとして杭州将軍に左遷し,これを機会に年羹堯の非を申立てる報告が相次ぎ,年羹堯は捕えられて北京に送られた。同年大逆罪5条を初め,92条の罪が数えられ,本人とその一族の死刑が論じられたが,本人は自殺を賜わり,15歳以上の一族は流刑に処された。

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