山中一揆(読み)さんちゅういっき

改訂新版 世界大百科事典 「山中一揆」の意味・わかりやすい解説

山中一揆 (さんちゅういっき)

1726年(享保11)11月から翌年正月にかけて,美作津山藩領の山中と呼ばれた西部地域の真島・大庭両郡に起きた全藩一揆。当時津山藩の藩財政は窮迫していたため年貢増徴を強行,同年定免(じようめん)制も採用したので,百姓の不満がくすぶっていた。11月藩主が夭死して藩は減封され,領内が不安で動揺中,大庄屋らがひそかに郷蔵の米を搬出しかけて百姓に阻止された事件を契機に,山中一揆が起きた。翌月牧徳右衛門,見尾弥次郎らの率いる山中の一揆勢は里方の百姓と合流して,久世町の郷蔵の米を差し押さえる一方,津山領東部にも蜂起を呼びかけ,かつ久世周辺の大庄屋宅などを打ちこわした。藩では代官を派して一揆の要求を全面的に認め,東部でも同じ要求を貫徹した。正月に入り大庄屋,中庄屋に対して年貢減免に伴う過剰納入米の払戻し,諸帳面の即時引渡しなどを要求する闘争が始まり,山中の随所打毀が起きたが,大砲鉄砲などを装備した藩の鎮圧隊によって一揆勢は壊滅させられた。徳右衛門,弥次郎など多数の参加百姓は磔刑獄門以下の刑に処された。
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百科事典マイペディア 「山中一揆」の意味・わかりやすい解説

山中一揆【さんちゅういっき】

江戸時代,美作(みまさか)国の津山藩領で起きた百姓一揆。山中は同藩領西部の真島(ましま)郡・大庭(おおば)郡の通称。1726年年貢(ねんぐ)の増徴策を強行した藩に対して領内に不満がくすぶるなか,大庄屋らが郷蔵(ごうぐら)の米を搬出するのを百姓が阻止するという事件が発端となり,山中一揆となった。一揆勢は里方の百姓と合流し,また東部にもよびかけ,大庄屋宅の打毀(うちこわし)などを行った。藩側は年貢の一部免除など一揆の要求を受け入れたが,一揆はさらに大庄屋らに年貢の減免に伴う過剰納入米の払い戻し,帳面の引渡しなどを求め,各地で打毀を行ったところ,鎮圧隊により押さえられた。参加した百姓のうち147人が捕らえられ,うち死刑者は51人を数えた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「山中一揆」の意味・わかりやすい解説

山中一揆
さんちゅういっき

1726~27年(享保11~12)に美作(みまさか)国真島(ましま)、大庭(おおば)両郡(岡山県真庭(まにわ)郡)の山中一帯に起きた惣百姓(そうびゃくしょう)一揆。1726年11月美作津山藩主松平浅五郎が夭折(ようせつ)したため、10万石が5万石に減知された。山中は幕領に編入される公算から、納入した同年年貢の取り返しなどを求め、また新参役人の久保新平の藩政壟断(ろうだん)への不満も絡み、領内動揺のおり、一部大庄屋(おおじょうや)が郷蔵(ごうぐら)から米持出しをしたので、激高した山中農民が牧村徳右衛門(とくえもん)、見尾村弥次郎(弥治郎)(やじろう)、日名田半六(ひなたはんろく)らを頭取(とうどり)に蜂起(ほうき)、久世の大庄屋宅などを打毀(うちこわ)した(12月初~月末)。いったん収拾したが、翌27年正月早々に再燃、徳右衛門らの指導下に鉄砲、竹槍(たけやり)で武装して蜂起し、これも鉄砲、大筒を用意して鎮圧に赴いた藩庁軍と対峙(たいじ)、同月12日夜、土居(どい)村に集結していた主流勢が夜討ちされて一揆側はほぼ潰滅(かいめつ)した。一揆勢は大量に切捨てられる一方、津山へ連行された頭取たちは3月、磔(はりつけ)、獄門、死罪に処せられた。

[山田忠雄]

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世界大百科事典(旧版)内の山中一揆の言及

【津山藩】より

…そのため領民の動揺が著しく,同年暮れに至り美作西部の山中(さんちゆう)地方を中心に大一揆が起こった。いわゆる山中一揆である。幕府は5万石を収公し,残る5万石をもって松平長熈の相続を許した。…

※「山中一揆」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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