精選版 日本国語大辞典 「幸西」の意味・読み・例文・類語 こうさいカウサイ【幸西】 鎌倉初期の浄土宗の僧。号は成覚房。はじめ比叡山西塔で天台を修め、のちに法然の門に入り、一念義を唱えた。長寛元~宝治元年(一一六三‐一二四七) 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「幸西」の解説 幸西 こうさい 1163-1247 鎌倉時代の僧。長寛元年生まれ。浄土宗。比叡(ひえい)山でまなぶが,愛児の死を契機に法然(ほうねん)の弟子となる。行空(ぎょうくう)らと1回の念仏でたりるとする一念義をとなえ,2度の法難にあう。のち下総(しもうさ)栗原(千葉県)で布教したという。宝治(ほうじ)元年4月14日死去。85歳。号は成覚(じょうかく)房。著作に「玄義分抄」など。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
世界大百科事典(旧版)内の幸西の言及 【一念義・多念義】より …弥陀の本願を信じておこす,ひとたびの念仏で往生できるとするのが一念義,往生には臨終までできるだけ多くの念仏を唱える必要があるとするのが多念義。前者は行空,幸西らの立義,後者は隆寛の主唱にかかる。一念義は法然の在世中から京都・北陸方面で信奉され,一念の信心決定(けつじよう)に重きを置き,多念の念仏行を軽視し,やがて否定した。… ※「幸西」について言及している用語解説の一部を掲載しています。 出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」 Sponserd by