俳文。芭蕉作。門人曲翠が提供した石山の奥の幻住庵に滞在したおりの俳文。1690年(元禄3)の夏から秋にかけて,芭蕉はこの庵で生活したが,その間京都,大津へ出ることも多く,また門人たちの来訪も多かった。そうした中で,慶滋保胤(よししげのやすたね)の《池亭記》,鴨長明の《方丈記》,木下長嘯子の《山家記》など,伝統的な〈記〉の文学にならって創作されたのが本作品であり,なかでも《方丈記》の影響が顕著だった。庵での生活,風景描写,述懐の3部よりなり,述懐部には漂泊思想が色濃く,〈終(つい)に無能無才にして此(この)一筋につながる〉自負が語られている。《猿蓑(さるみの)》に公開された本作品は,芭蕉俳文の完成を示すものだったといえる。
執筆者:井上 敏幸
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…古人の跡を求めて歌枕探訪の旅に出た主人公が,〈奥〉の受洗で独自の〈風流〉に開眼する点に,作品の意義があろう。《幻住庵記》で俳文の〈記〉の創出に成功した著者が,次の試みとして〈道の記〉の創出にとりくんだもので,前者が鴨長明の《方丈記》をふまえたように,これも当時《長明道の記》と称された《東関紀行》をふまえている。なお,同行の曾良には詳細な旅日記がある。…
…芭蕉が〈脇三つを三体に仕分け〉たという初めの3巻は蕉風連句の規範とされている。俳文編は芭蕉の《幻住庵記》とその付録より成る。俳文として公表された最初の作品で,付録の《題芭蕉翁国分山幻住庵記之後》は去来の兄震軒の漢詩文,《几右日記》は来信または来庵の諸家の発句の書留である。…
※「幻住庵記」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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