石山(読み)イシヤマ

デジタル大辞泉 「石山」の意味・読み・例文・類語

いし‐やま【石山】

岩石の多い山。
石材を切り出す山。
[類語]岩山砂山砂丘松山禿げ山坊主山青山金山里山繁山芝山柴山杣山茸山茶山裸山檜山ぼた山瑞山痩せ山

いしやま【石山】[地名]

滋賀県大津市の地名。近江八景「石山の秋月」の地。石山寺があり、地名は境内の珪灰けいかいの巨岩に由来。[歌枕]
「都にも人や待つらむ―の峰に残れる秋の夜の月」〈新古今・雑上〉
大阪市中央区馬場町あたりの古称。石山本願寺があった。
石山寺」の略。

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精選版 日本国語大辞典 「石山」の意味・読み・例文・類語

いし‐やま【石山】

  1. [ 1 ] 〘 名詞 〙
    1. 石の多い山。岩石の重なっている山。〔日葡辞書(1603‐04)〕
      1. [初出の実例]「石山(イシヤマ)、松山、雑木山と数ふる遑(いとま)を行客に許さざる疾き流れは」(出典:虞美人草(1907)〈夏目漱石〉五)
    2. 石材を切り出す山。
  2. [ 2 ]
    1. [ 一 ] 滋賀県大津市にある地名。東は瀬田川、西は音羽山、笠取山を越えて京都に連なる一帯。近江八景の「石山の秋月」、琵琶湖八景の「瀬田石山の清流」として名高い。石山寺、石山貝塚がある。歌枕。
      1. [初出の実例]「都にも人やまつらん石山の峰にのこれるあきのよの月〈藤原長能〉」(出典:新古今和歌集(1205)雑上・一五一四)
    2. [ 二 ] ( 蓮如上人が道場を建てるときに、数々の不思議がおこり、石が土中に敷きつめられていたため名づけられた ) 大阪市中央区馬場(ばんば)町あたりの旧称。石山本願寺のあった所。のち、大坂城が建てられた。
    3. [ 三 ] 岡山市丸の内付近の古称。
    4. [ 四 ] [ 一 ]にある石山寺(真言宗東寺派)の通称。

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日本歴史地名大系 「石山」の解説


いしづちさん

西条市の南部、周桑しゆうそう小松こまつ町の南部、上浮穴かみうけな面河おもご村の北部の接点に位置する。南側頂上の天狗てんぐ岳は標高一九八二メートルであるが、石鎚山の三角点は一九二〇・六メートルのところにある。石鎚山は西日本の最高峰で、その東にそびえるささみねかめもりなどとともに石鎚連峰を形成している。なおこの瓶ヶ森を石土いしづち山とよんでいたともいわれる。

石鎚山の頂上近くは輝安山岩よりなる。中腹の成就じようじゆ常住じようじゆうから南の弥山みせん(頂上)にかけては岩壁が続き、この間の上中下の三岩壁には鎖がかけられている。またこの東側近くには天柱石あまのみはしらいし(塔石)穴の薬師あなのやくしなど奇石がつくり出した名所も少なくない。天柱石は周囲四〇メートル、高さ七八メートルの岩の柱、穴の薬師はその近くにある岩窟である。「四国霊場記」に

<資料は省略されています>

とあり、右の本社とは成就にあった蔵王権現社をさす。一方山頂の南側にあたる面河川の谷にも幕岩まくいわの大岩壁がある。面河渓に沿ったこの石鎚山の南側にはシコクシラベの林やオモゴザサの群生がみられ、美しい景観をなしている。付近一帯は石鎚国定公園となっている。

石鎚山は山岳信仰の霊地で、山麓の西条市西田にしだ石鎚神社口の宮くちのみや、本社)、同洲之内の前神すのうちのまえがみ寺、同大保木の極楽おおふきのごくらく寺、周桑郡小松町石鎚にある横峰よこみね寺などが石鎚山信仰の拠点として栄えている(→石鎚神社前神寺横峰寺。登山路は西条市から北へ登拝する表参道と、松山方面から東へ黒森くろもり峠を越えていく道の二つがあった。前者は大保木から小松町石鎚の黒川くろかわ、西条市中奥の今宮なかおくのいまみや、西条市西之川にしのかわのいずれかを通って成就に到達し、そこから弥山に登るコースである。もっとも近年西之川から成就にロープウエーが通じ、一般には西之川経由の道がとられている。成就には石鎚神社成就社・奥前神寺(前神寺別院)があり、弥山登山の拠点となっている(周桑郡小松町の→成就。後者は温泉おんせん重信しげのぶ町の横河原よこがわらから黒森峠を経て笠方かさがたうめいちどうもりもりと尾根道を縦走して成就に至るものであった。現在は松山から上浮穴郡面河村の土小屋つちごやまでバスで行き、そこから山頂に至る道が開けている。石鎚連峰の瓶ヶ森や笹ヶ峰には大保木の南のひがしかわからの登山道があるが、また石鎚山を経て瓶ヶ森・笹ヶ峰への縦走路もある。

石鎚山は「日本霊異記」に「石槌山」と記される。「古事記」上巻に「国を生みへて、更に神を生みき。故、生める神の名は、大事忍男神。次に石土毘古いはつちびこ神を生み」とあり、「延喜式」神名帳には「石土神社」の記載があって、史家はこれを石鎚神社としている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「石山」の意味・わかりやすい解説

石山
いしやま

滋賀県大津市南部の一地区。旧石山町。近江八景(おうみはっけい)の一つ「石山の秋月」でも著名な景勝の地。石山寺山内には硅灰石(けいかいせき)の露出(国の天然記念物)がみられるが、これが石山の名のおこりという。石山貝塚、蛍谷(ほたるだに)貝塚などの遺跡があり、国分寺もあったという。孝謙(こうけん)天皇の離宮保良宮(ほらのみや)の造営が伝えられる地でもある。奈良時代には平城京などへの木材運搬をつかさどる石山院が設立され、この石山院が石山寺の前身となった。平安時代には石山寺は真言宗の道場として皇室、貴族、庶民の信仰を集め、「石山詣(もう)で」が盛んであった。交通の要衝であるため、しばしば合戦場となり、小城砦(じょうさい)なども設けられた。近世には膳所(ぜぜ)藩に属した。京阪電鉄、国道422号が通じ、京滋バイパスの石山インターチェンジがある。北部は工業地区になったが、南部には石山寺のほかに岩間寺、立木観音南郷洗堰(あらいぜき)、水産センター、滋賀大学大津(石山)キャンパスなどがある。また京阪神に近く、近年は宅地化も著しい。

高橋誠一


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「石山」の意味・わかりやすい解説

石山
いしやま

大阪府中部,大阪市中央区の大坂城(→大阪城)本丸跡付近。古くから石山と呼ばれ,明応5(1496)年,本願寺第8世蓮如がここに一向宗の道場を開き,石山御坊と呼ばれた。天文1(1532)年,山科本願寺焼亡ののち,この地に第10世証如が本願寺を移し(石山本願寺),世俗的にも強大となり,織田信長と 11年間にわたる石山合戦を続けたが,天正8(1580)年信長に降伏して明け渡した。その後同 11年,豊臣秀吉天下統一の本拠としてここに大坂城を築いた。

石山
いしやま

滋賀県大津市南部,瀬田川西岸にある地域名。旧町名。接触変成鉱物の「石山寺ケイ灰石」 (天然記念物) のあるところから地名が生じた。聖武天皇が東大寺建立に際して設けた石山院に始る石山寺があり,瀬田川にのぞむ景勝地。近江八景の一つ「石山秋月」,琵琶湖八景の一つ「夕陽・瀬田石山の清流」で知られる。北部は工場地帯と商店街。

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歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典 「石山」の解説

石山
(通称)
いしやま

歌舞伎・浄瑠璃の外題。
元の外題
源氏供養 など
初演
宝永2(大坂・坂田兵七郎座)

出典 日外アソシエーツ「歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典」歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の石山の言及

【大津[市]】より

…1898年市制。1932年滋賀村,33年膳所(ぜぜ)町,石山町,51年坂本村,下阪本村,雄琴(おごと)村,下田上村,大石村,67年堅田町,瀬田町を編入。人口27万6332(1995)。…

【瀬田川】より

…東岸の大津市瀬田地区は古来交通の要所として知られ,著名な合戦場でもあった。瀬田から対岸の石山へは東海道本線,新幹線,国道1号線,名神高速道路,旧東海道(瀬田唐橋)の五つの橋がかかって新旧の対照をみせ,河岸には繊維,電器などの工場が集中する。石山地区には石山寺があり,その門前には旅館,みやげ物店が並ぶ。…

※「石山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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