日本歴史地名大系 「庁鼻和城跡」の解説 庁鼻和城跡こばなわじようあと 埼玉県:深谷市国済寺村庁鼻和城跡[現在地名]深谷市国済寺櫛挽(くしびき)台地北端部に位置する庁鼻和上杉氏の居城跡。平城で、現在の城跡は庁鼻和上杉氏の菩提寺国済(こくさい)寺がその一角を占めている。庁鼻和上杉氏は山内上杉氏の一族で、初代上杉憲英(関東管領上杉憲顕の子)は南北朝時代末頃に庁鼻和に築城したとみられる。上杉禅秀の乱中の応永二四年(一四一七)一月二日、武州北白旗一揆の別符尾張入道代内村四郎左衛門尉勝久は「庁鼻和御陣」に馳せ参じ、その後鎌倉に向かっている(同年正月日「別符尾張入道代内村勝久着到状」別符文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by