広瀬地蔵山墓地跡(読み)ひろせじぞうやまぼちあと

日本歴史地名大系 「広瀬地蔵山墓地跡」の解説

広瀬地蔵山墓地跡
ひろせじぞうやまぼちあと

[現在地名]山添村大字広瀬 地蔵山

中世から近世の経塚と墓地。北流する名張なばり川を望む丘陵の先端に立地したが、県道の拡幅工事のため昭和六〇年(一九八五)事前調査を行ったところ、次のことが判明した。

まず一二世紀後半から一三世紀前半にかけて経塚二基が築かれる。一号経塚は六角形の石囲いの中から瓦器経筒、火打金、中国銭九枚が、二号経塚から土師器経筒が出土している。一四世紀中頃から一六世紀前半にかけて火葬墓二〇基が築かれる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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