広瀬松子(読み)ひろせ まつこ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「広瀬松子」の解説

広瀬松子 ひろせ-まつこ

1816-1844 江戸時代後期,広瀬旭荘(きょくそう)の妻。
文化13年生まれ。17歳で後妻となる。儒者である夫は結婚に際し「妄(みだ)りに家室(妻)を暴責すまじき旨」をちかうが,はげしい気性はかわらなかった。しかし夫のわがままにたえ,門弟の面倒をよくみた。弘化(こうか)元年死去。29歳。旭荘は松子をしのんで「追思録」をのこした。筑後(ちくご)(福岡県)出身本姓は合原。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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