江戸後期の漢詩人、儒学者。通称は謙吉、字(あざな)は吉甫(きっぽ)。旭荘はその号。初め秋村と号し、のち別に梅墩(ばいとん)と号した。死後の諡(おくりな)を文敏(ぶんびん)先生という。豊後国(ぶんごのくに)日田(ひた)(大分県日田市)の人で、淡窓(たんそう)の末弟。一時子のない淡窓の義子となり、咸宜園(かんぎえん)の塾政をみたが、郡代塩谷(しおのや)氏と性情があわず、1836年(天保7)日田を去り、泉州(大阪府)堺(さかい)に塾を開いた。のち江戸や大坂でも塾を設けたが、もっとも得意としたのは詩作で、清(しん)の兪曲園(ゆきょくえん)(兪樾(ゆえつ))は徳川氏以来の詩人百数十家を集めた日本漢詩の選集『東瀛(とうえい)詩選』で、旭荘ひとりだけに2巻を占めることを許し、「東国詩人の冠」とたたえた。
[古川哲史 2016年6月20日]
『広瀬旭荘全集編集委員会編『広瀬旭荘全集』全11巻(1982~2010・思文閣出版)』
江戸後期の漢詩人。名は謙,字は吉甫,通称は謙吉。豊後日田(ひた)の人。25歳年上の兄広瀬淡窓(たんそう)の養子となり,儒者,漢詩人として令名があり,教育者としてもすぐれていた淡窓の薫陶を受けた。青年時から中国,京坂,江戸など諸方を遊歴して当代の名士と詩文の交友を結んだ。1838年(天保9)から大坂に定住し,63年(文久3)に摂津池田に移住して間もなく没した。その詩風は自由闊達で詩情あふれるがごとく,特に長編大作を得意とした。清(しん)末の儒者兪曲園(ゆきよくえん)は日本の江戸時代の漢詩選集《東瀛(とうえい)詩選》を編纂したが,旭荘をもって第一等とした。著書に《梅墩(ばいとん)詩鈔》《九桂草堂筆記》などがある。
執筆者:日野 竜夫
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