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広瀬旭荘 ひろせ きょくそう

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美術人名辞典の解説

広瀬旭荘

幕末の儒者。豊後生。兄は淡窓。名は謙、字は吉甫、梅暾と号する。亀井昭陽、のち菅茶山に入門する。天保2年淡窓に代り家塾の咸宜園を監督する。のち江戸で林述斎に学び、晩年大阪に住する。詩学で知られる。『梅暾詩鈔』の著がある。文久3年(1863)歿、57才。

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デジタル大辞泉の解説

ひろせ‐きょくそう〔‐キヨクサウ〕【広瀬旭荘】

[1807~1863]江戸末期の儒学者・漢詩人。豊後(ぶんご)の人。名は謙。淡窓の弟。兄を継いで咸宜園(かんぎえん)を経営。著「梅墩(ばいとん)詩鈔」。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

広瀬旭荘 ひろせ-きょくそう

1807-1863 江戸時代後期の儒者。
文化4年5月17日生まれ。広瀬淡窓の弟。亀井昭陽,菅茶山(かん-ちゃざん)らにまなぶ。兄の私塾咸宜(かんぎ)園を運営したのち各地を歴遊。文久元年帰郷して雪来館を創立するが,翌年摂津池田(大阪府)に移住した。漢詩人としても著名。文久3年8月17日死去。57歳。豊後(ぶんご)(大分県)日田出身。名は謙。字(あざな)は吉甫。通称は謙吉。別号に梅墩(ばいとん)。著作に「梅墩詩鈔」「追思録」など。
【格言など】総(すべ)て有用の者は必ず卑凡なり(「九桂草堂随筆」)

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版の解説

ひろせきょくそう【広瀬旭荘】

1807‐63(文化4‐文久3)
江戸後期の漢詩人。名は謙,字は吉甫,通称は謙吉。豊後日田(ひた)の人。25歳年上の兄広瀬淡窓(たんそう)の養子となり,儒者,漢詩人として令名があり,教育者としてもすぐれていた淡窓の薫陶を受けた。青年時から中国,京坂,江戸など諸方を遊歴して当代の名士と詩文の交友を結んだ。1838年(天保9)から大坂に定住し,63年(文久3)に摂津池田に移住して間もなく没した。その詩風は自由闊達で詩情あふれるがごとく,特に長編大作を得意とした。

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大辞林 第三版の解説

ひろせきょくそう【広瀬旭荘】

1807~1863) 江戸後期の儒者・漢詩人。淡窓の弟。豊後日田の人。二三歳で兄に代わり学塾咸宜園かんぎえんを監督、のち堺に出て逍遥吟社をおこす。著「梅墩詩鈔」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

広瀬旭荘
ひろせきょくそう

[生]文化4(1807).豊後,日田
[没]文久3(1863).摂津,池田
江戸時代後期の儒学者,漢詩人。名は謙,字は吉甫。秋村のち旭荘,梅 墩とも号した。広瀬淡窓の実弟で,亀井昭陽の門に入り菅茶山らと交遊,淡窓の跡を継いで家塾咸宜園 (かんぎえん) を経営。のち大坂,江戸,北陸を巡遊した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

広瀬旭荘
ひろせきょくそう
(1807―1863)

江戸後期の漢詩人、儒学者。通称は謙吉、字(あざな)は吉甫(きっぽ)。旭荘はその号。初め秋村と号し、のち別に梅(ばいとん)と号した。死後の諡(おくりな)を文敏(ぶんびん)先生という。豊後国(ぶんごのくに)日田(ひた)(大分県日田市)の人で、淡窓(たんそう)の末弟。一時子のない淡窓の義子となり、咸宜園(かんぎえん)の塾政をみたが、郡代塩谷(しおのや)氏と性情があわず、1836年(天保7)日田を去り、泉州(大阪府)堺(さかい)に塾を開いた。のち江戸や大坂でも塾を設けたが、もっとも得意としたのは詩作で、清(しん)の兪曲園(ゆきょくえん)(兪(ゆえつ))は徳川氏以来の詩人百数十家を集めた日本漢詩の選集『東瀛(とうえい)詩選』で、旭荘ひとりだけに2巻を占めることを許し、「東国詩人の冠」とたたえた。[古川哲史]
『広瀬旭荘全集編集委員会編『広瀬旭荘全集』全11巻(1982~2010・思文閣出版)』

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