日本歴史地名大系 「広芝村」の解説 広芝村ひろしばむら 京都府:宇治市広芝村[現在地名]宇治市五ヶ庄五ヶ庄(ごかのしよう)村内の中央北寄りに位置し、一七世紀半ば以前は近衛家領、その後は黄檗宗萬福(まんぷく)寺領となった。元和四年(一六一八)の広芝村名寄帳(陽明文庫蔵)によれば、村内の耕作地六町一畝二五歩、石高七二・五一九石。奈良街道沿いに位置する街村で南北に長く連なるが、寛永一七年(一六四〇)の五ケ庄百姓改帳(陽明文庫蔵)には、わずか一一戸、七二名と記されるにすぎない。 広芝村ひろしばむら 京都市:右京区広芝村[現在地名]右京区梅(うめ)ヶ畑(はた)広芝町四方を山に囲まれ、一条街道(現周山街道)沿いにある集落。善妙寺(ぜんみようじ)村と平岡(ひらおか)村の境に位置する。中世梅ヶ畑に属し、禁裏供御役を勤仕した。「山城名跡巡行志」には「中島ノ属邑也」とあり、中島村枝郷であったらしい。享保一四年(一七二九)の山城国高八郡村名帳による村高は一八石六斗六升余、一円神護寺領。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報