広野新開
ひろのしんかい
[現在地名]三木市志染町広野・志染町広野一―七丁目・志染町東自由が丘一―三丁目・志染町中自由が丘二丁目・志染町青山一―三丁目・同六丁目・緑が丘町東一―四丁目・緑が丘町西一丁目・同三丁目・緑が丘町中一―三丁目・緑が丘町本町一―二丁目、神戸市西区小束野
吉田村の南、志染川の支流細目川左岸の丘陵地に位置する。西は小林新田。元治元年(一八六四)加東郡太郎太夫村(現小野市)の近藤文蔵が三木中町の年寄魚屋荘右衛門を代理人として出願し、開発された。近藤家の記録には広野南新田とあり、田畑七〇町歩のほかに茶畑・桑畑・桃畑・溜池(二ヵ所)・小池(三ヵ所)があり、入作した農民は三五軒(うち一七軒は四国からの移住)であった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報