日本歴史地名大系 「弁財村」の解説 弁財村べんざいむら 埼玉県:上尾市弁財村[現在地名]上尾市弁財一―二丁目・弁財・春日(かすが)二丁目・浅間台(あさまだい)一―四丁目・小泉(こいずみ)一丁目・今泉(いまいずみ)一丁目沖之上(おきのかみ)村の南、鴨(かも)川を隔てて北西は小泉村。鴨川沿いの谷地にあった鎮守弁財天が村名の由来という(風土記稿)。近世初頭は上(かみ)村(のちの沖之上村)の内に含まれ、田園簿に弁才村とある。田八三石余・畑二〇六石余・山高六石で、のちの中妻(なかづま)村を含み、旗本柴田領。 弁財村べんざいむら 埼玉県:大里郡妻沼町弁財村[現在地名]妻沼町弁財郷帳類などは弁才村と記す。利根川右岸の自然堤防上に位置し、南は上須戸(かみすど)村、西は善(ぜん)ヶ島(しま)村。弁財天の古社を有したのが村名の由来という(風土記稿)。田園簿によると高一〇一石余はすべて畑で幕府領。天和元年(一六八一)下総古河藩領となり、貞享二年(一六八五)に上知されるが(「堀田氏領知調帳」紀氏雑録続集)、「風土記稿」には江戸期は同書成立時まで幕府領とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報