日本歴史地名大系 「引郡」の解説 引郡くしびきぐん 山形県:出羽国引郡戦国期から史料に散見し、寛文四年(一六六四)まで使用された郡名。櫛挽とも記した。庄内のうち最上川以南(川南)の東部に位置する。正保庄内絵図(本間美術館蔵)などにより西方田川郡に接する当郡の村々を列挙すると、北から大宮(おおみや)村・落野目(おちのめ)村・門田(かどた)村・局(つぼね)村(現酒田市)、猪子(いのこ)村・東沼(ひがしぬま)村・角田二口(すまたふたくち)村(現東田川郡三川町)、菖蒲沼(しようぶぬま)村・野興屋(のこうや)村・漆島(うるしじま)村・林崎(はやしざき)村・丹波興屋(たんばこうや)村・布目(ぬのめ)村・小淀川(こよどかわ)村・寺田(てらだ)村・井岡(いのおか)村・赤坂(あかさか)村・藤原(ふじわら)村・青竜寺(しようりゆうじ)村・滝沢(たきざわ)村・谷定(たにさだ)村(現鶴岡市)などで、京田(きようでん)川・大山(おおやま)川・金峯(きんぼう)山を結ぶ線より東側に位置している。郡名の由来は不明であるが、安倍親任の「筆濃余理」は「案ニ是全ク当領限ノ私称ナラン歟」と記す。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by