弘原下村
ひろはらしもむら
[現在地名]出石町福住
奥山川の左岸に位置し、同川は当地で堀川(現在の出石川)に合流していた。集落は奥山川沿いから西の花山との間に散在。奥山川対岸東方は鍛冶屋村、南は弘原中村。単に下村ともいった。元禄九年(一六九六)出石藩領出石郡山之中組の口矢根村(現但東町)などが矢根銀山付として幕府領に転じた際(引渡しは同一〇年)、当村など六ヵ村はそれまでの出石藩領出石郡下郷組から同山之中組に所属替えとなった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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