弘原庄(読み)ひろはらのしよう

日本歴史地名大系 「弘原庄」の解説

弘原庄
ひろはらのしよう

奥山おくやま川流域(弘原谷とよばれる)にあったと推定される皇室領庄園。「但馬考」は鍛冶屋かじや、弘原下・弘原中・弘原上、奥山の諸村を「弘原庄と云」としている。弘安八年(一二八五)但馬国太田文に「弘原庄 五十町」とみえ、「高野平等院領」「領家中納言法印能誉」「地頭太田左衛門太郎政頼」と注記があり、庄田の内訳記載はない。地頭太田政頼は太田文を注進した但馬の守護で、当庄は守護領の一。高野平等こうやびようどう院は平等房永厳によって開基され、貞応二年(一二二三)禅林寺静遍によって再興されたという紀州高野山上の一院であるが、当庄との関係についてはほかに史料はない。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

新暦の 4月後半から 5月の,梅雨前に日本列島が大きな移動性高気圧に覆われたときの晴天。発現期間は短い。もともとは旧暦 5月が梅雨にあたることから,梅雨の晴れ間の意味で,梅雨晴れ(つゆばれ)とも呼ばれ...

五月晴れの用語解説を読む