日本歴史地名大系 「弘明寺村」の解説 弘明寺村ぐみようじむら 神奈川県:横浜市南区弘明寺村[現在地名]南区弘明寺町東は大岡(おおか)川を境に下大岡(しもおおか)村、西は山続きに引越(ひつこし)村、南は中里(なかざと)村、北は井戸(いど)ヶ谷(や)村に接する。東に水田、西に大塚(おおつか)山・天神(てんじん)山・大丸(おおまる)山が連なる。金沢(かねさわ)道が井戸ヶ谷村から村内を通り中里村に続く。この道は弘明寺道ともいう。井土ヶ谷村・別所(べつしよ)村に道標が残る。南東を大岡川が流れ、北の井土ヶ谷村に達する。弘明寺橋という橋が架かる。東西二町、南北四町ほどの小村だが、村内に坂東三十三観音一四番札所の弘明寺がある。村名の起りもこの寺にちなむ。中世は多々久(たたく)郷のうちで小田原衆所領役帳に、石巻下野守「九拾貫七百文 小机多々久」とみえ、弘明寺文書に石巻勘解由左衛門・石巻彦六郎の名がみえる(→弘明寺)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by