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張議潮 ちょうぎちょうZhang Yi-chao; Chang I-ch`ao

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

張議潮
ちょうぎちょう
Zhang Yi-chao; Chang I-ch`ao

[生]?
[没]咸通13(872)
中国,唐末の節度使。義朝とも書く。中唐の大中年間 (847~859) 沙州 (甘粛省敦煌県) 方面を支配下においていた吐蕃 (とばん) の内紛に乗じて挙兵し,沙州を奪取。さらに支配圏を拡大し,唐朝が沙州に帰義軍をおくと,その節度使となった。

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世界大百科事典 第2版の解説

ちょうぎちょう【張議潮 Zhāng Yì cháo】

?‐872
中国,唐代の節度使。張義潮と記す文献もある。沙州(敦煌)地方の豪族。848年(大中2)吐蕃の内紛に乗じて沙州を吐蕃の手から奪回,ついで河西一帯を支配して851年唐から帰義軍節度使を授けられた。以来張氏一族が節度使を世襲し,その後の曹氏時代を含めて170余年敦煌地方は帰義軍支配下にあり,周辺を外民族に囲まれつつ小王国として自立した。敦煌文献,莫高窟遺跡などで当時の社会を知りうるが,張議潮自身についてもその武勇譚をうたった変文などが発見されている。

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世界大百科事典内の張議潮の言及

【敦煌】より

…沙州つまり敦煌は執拗な抵抗をつづけたが,国都の長安にさえ長駆して一時は占領するほどの力量をもった吐蕃の軍事力によって,781年(建中2)には沙州の一角の寿昌県が破られ,787年(貞元3)に至ってついに全面的に降伏した。これ以後,848年(大中2)に漢人の張議潮によって追い出されるまでの約60年間は,敦煌はまったくチベット人によって統治されたのであって,この時期を吐蕃支配期ないし吐蕃期と呼んでいる。この時期の敦煌では,生活や文化のあらゆる面に吐蕃の影響がみられる。…

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