日本歴史地名大系 「強戸村」の解説 強戸村ごうどむら 群馬県:太田市強戸村[現在地名]太田市強戸成塚(なりづか)村の東、八王子(はちおうじ)丘陵の南麓、金(かな)山の西麓にあり、南は鶴生田(つるうだ)村、東は山田郡吉沢(よしざわ)村。集落は上下の二つに分れ、その間を新田(につた)堀が西流し、当地より西は長(なが)堀と称した。中世は額戸と記され新田庄に属した。嘉応二年(一一七〇)の新田庄田畠在家目録写(正木文書)に「かうとの郷 田六町九反卅たい 畠三丁五反卅たい 在家六う」とみえる。諸系図によると新田義重の庶子三郎経義が額戸を名乗っており、近辺の亀岡(かめおか)郷・鶴生田郷内にも額戸氏の所領があった。応永一一年(一四〇四)四月七日の新田庄内惣領知行分注文写(同文書)には岩松惣領方の所領として「額戸郷」がみえ、また同二二年八月一〇日の称光天皇即位要脚段銭催促状写(同文書)に「額戸拾町」とみえ、これは当時の公田数。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by