出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
京都府中部にある亀岡盆地の中心都市。東は京都市に接する。1955年(昭和30)亀岡町と東別院(べついん)、西別院、曽我部(そがべ)、吉川、薭田野(ひえだの)、本梅(ほんめ)、宮前(みやざき)、畑野、大井、千代川、馬路(うまじ)、千歳(ちとせ)、旭(あさひ)、河原林(かわらばやし)、保津(ほづ)の15村が合併して市制施行。1956年東本梅村、1959年篠(しの)村を編入。市街は亀岡盆地を貫流する大堰(おおい)川(保津川)南岸の段丘上に位置し、JR山陰本線、国道9号が通じ、372号(篠山(ささやま)街道)、423号を分岐する。1988年に京都縦貫自動車道が開通。そのほか、保津川沿いに嵯峨野(さがの)観光鉄道(トロッコ列車)が走る。1579年(天正7)明智光秀(あけちみつひで)の亀山城築城に始まり、江戸時代には岡部、大給(おぎゅう)松平、久世(くぜ)氏などが入封し、1749年(寛延2)以来形原(かたのはら)松平氏5万石の城下町として栄えたが、1869年(明治2)伊勢国(三重県)の亀山との混同を避けて亀岡と改称した。また1606年(慶長11)角倉了以(すみのくらりょうい)による保津川の改修によって、丹波(たんば)地方の木材の集散地としても発達した。繊維産業が盛んであったが、近年は機械工業が中心。京都市のベッドタウンとして発展、宅地造成が進んでいる。亀山城跡には大本(おおもと)教本部の天恩郷(てんおんきょう)がある。西国三十三所第21番札所の穴太(あなお)寺、円山応挙(まるやまおうきょ)ゆかりの金剛寺、丹波一宮(いちのみや)として知られる出雲(いずも)大神宮、国指定史跡の丹波国分寺跡、桜石とよばれる国の天然記念物菫青石(きんせいせき)仮晶などがある。市街西方には湯の花温泉があり、保津橋からは保津川下りの遊覧船が出る。面積224.80平方キロメートル、人口8万6174(2020)。
[織田武雄]
『『亀岡市史』全3巻(1960~1965・亀岡市)』▽『『新修亀岡市史』全8巻(1995~2004・亀岡市)』
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京都府中部の市。1955年亀岡町ほか15村が合体して市制。人口9万2399(2010)。市域は亀岡盆地南半部とその周辺の山地からなる。山陰道の要地で丹波の国府や国分寺(跡は史跡)が置かれ,古代の丹波の中心地であった。大堰(おおい)川南岸の河岸段丘上にひろがる中心市街は,天正年間(1573-92)に明智光秀が築いた亀山城の城下町として発展し,現在も城下町の風情がよく残っている。1869年(明治2)伊勢の亀山と区別するため亀山を亀岡と改称。城あとには大本教の本部が置かれている。国道9号線,JR山陰本線が通じ,京都への通勤者も多い。木材・木製品,繊維などのほか,近年は電気機械器具工業が盛ん。市街北部の大堰川にかかる保津橋のたもとからは,春から秋まで保津川下りの舟が出,西方の山間部には湯ノ花温泉がある。
執筆者:浮田 典良
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…丹波国桑田郡の城下町(現,京都府亀岡市)。口丹波の交通の要地。…
…石門心学の石田梅岩,医師山脇東洋,画家円山応挙らが藩内よりでている。1869年(明治2)版籍奉還のとき,伊勢国亀山との混同を避けるため亀岡と改称し,71年亀岡県を経て京都府に編入。【野田 只夫】。…
※「亀岡」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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