亀岡(読み)カメオカ

デジタル大辞泉 「亀岡」の意味・読み・例文・類語

かめおか〔かめをか〕【亀岡】

京都府中南部の市。亀岡盆地南部にある。もと松平氏の城下町明智光秀亀山城築城に始まり、城跡に、現在は大本教おおもときょう本部がある。保津川川下りの起点。古く亀山といい、明治2年(1869)改称。人口9.2万(2010)。

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精選版 日本国語大辞典 「亀岡」の意味・読み・例文・類語

かめ‐おか‥をか【亀岡】

  1. [ 一 ] 仙人の住むといわれる蓬莱(ほうらい)山の異名。大亀に背負われているという。
    1. [初出の実例]「君を始て見る時は千代も経ぬべし姫小松、御前の池なる亀岡に鶴こそ群れ居て遊びぬれ」(出典:平松家本平家(13C前)一)
  2. [ 二 ] ( 古くは亀山 ) 京都府中西部亀岡盆地南部の地名。天正年間(一五七三‐九二)明智光秀が亀山城を築城。江戸時代は松平氏五万石の城下町。京都に接する交通の要地。昭和三〇年(一九五五)市制。

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日本歴史地名大系 「亀岡」の解説

亀岡
かめおか

[現在地名]平戸市岩の上町

平戸城が築かれた一帯の地名。武家地のほか諸施設が設けられていた。平戸村岩の上いわのうえの地内で、古くは小半島状をなす地勢であった。西手の城下商人町とはさいわい橋で結ばれた。亀岡古城図(元禄一六年写、松浦史料博物館蔵)によれば、本丸・二ノ郭・三ノ郭のほか、北部に外郭と記され、南西部に大手とある。正保二年(一六四五)平戸城下図では半島の基部から北はほぼ侍屋敷が割られ、北部にわずかに町屋とあるのは水主町と考えられる。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「亀岡」の意味・わかりやすい解説

亀岡(市)
かめおか

京都府中部にある亀岡盆地の中心都市。東は京都市に接する。1955年(昭和30)亀岡町と東別院(べついん)、西別院、曽我部(そがべ)、吉川、薭田野(ひえだの)、本梅(ほんめ)、宮前(みやざき)、畑野、大井、千代川、馬路(うまじ)、千歳(ちとせ)、旭(あさひ)、河原林(かわらばやし)、保津(ほづ)の15村が合併して市制施行。1956年東本梅村、1959年篠(しの)村を編入。市街は亀岡盆地を貫流する大堰(おおい)川(保津川)南岸の段丘上に位置し、JR山陰本線、国道9号が通じ、372号(篠山(ささやま)街道)、423号を分岐する。1988年に京都縦貫自動車道が開通。そのほか、保津川沿いに嵯峨野(さがの)観光鉄道(トロッコ列車)が走る。1579年(天正7)明智光秀(あけちみつひで)の亀山城築城に始まり、江戸時代には岡部、大給(おぎゅう)松平、久世(くぜ)氏などが入封し、1749年(寛延2)以来形原(かたのはら)松平氏5万石の城下町として栄えたが、1869年(明治2)伊勢国(三重県)の亀山との混同を避けて亀岡と改称した。また1606年(慶長11)角倉了以(すみのくらりょうい)による保津川の改修によって、丹波(たんば)地方の木材の集散地としても発達した。繊維産業が盛んであったが、近年は機械工業が中心。京都市のベッドタウンとして発展、宅地造成が進んでいる。亀山城跡には大本(おおもと)教本部の天恩郷(てんおんきょう)がある。西国三十三所第21番札所の穴太(あなお)寺、円山応挙(まるやまおうきょ)ゆかりの金剛寺、丹波一宮(いちのみや)として知られる出雲(いずも)大神宮、国指定史跡の丹波国分寺跡、桜石とよばれる国の天然記念物菫青石(きんせいせき)仮晶などがある。市街西方には湯の花温泉があり、保津橋からは保津川下りの遊覧船が出る。面積224.80平方キロメートル、人口8万6174(2020)。

織田武雄

『『亀岡市史』全3巻(1960~1965・亀岡市)』『『新修亀岡市史』全8巻(1995~2004・亀岡市)』


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百科事典マイペディア 「亀岡」の意味・わかりやすい解説

亀岡[市]【かめおか】

京都府南部の市。1955年市制。大堰(おおい)川保津川)が南東流する亀岡盆地と周辺の山地を占め,盆地の中心に山陰道と篠山(ささやま)街道の分岐点の宿場町明智光秀築城後の城下町〈亀山〉として発達した中心市街がある。山陰本線が通じ,かつて保津川筏(いかだ)流しの拠点で製材が盛んであった。保津川下り,嵯峨野観光鉄道の起点。交通網の整備とともに工業化が進み,京都市のベッドタウンとして人口増加が著しい。式内社16社があり,うち出雲神社(出雲大神宮)・小川月(おがわつき)神社は名神大社。篠村(しのむら)八幡宮は1333年足利尊氏が挙兵に際して戦勝祈願したことで知られる。古代の丹波国国分寺を継承する浄土宗国分寺,西国三十三所観音霊場21番札所穴太(あなお)寺などがある。亀岡(亀山)城跡には大本教の本部天恩郷(てんおんきょう)がある。米作と裏作の麦作,近郊野菜,花卉(かき)栽培,養豚,養鶏が営まれる。224.80km2。9万2399人(2010)。

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改訂新版 世界大百科事典 「亀岡」の意味・わかりやすい解説

亀岡[市] (かめおか)

京都府中部の市。1955年亀岡町ほか15村が合体して市制。人口9万2399(2010)。市域は亀岡盆地南半部とその周辺の山地からなる。山陰道の要地で丹波の国府や国分寺(跡は史跡)が置かれ,古代の丹波の中心地であった。大堰(おおい)川南岸の河岸段丘上にひろがる中心市街は,天正年間(1573-92)に明智光秀が築いた亀山城の城下町として発展し,現在も城下町の風情がよく残っている。1869年(明治2)伊勢の亀山と区別するため亀山を亀岡と改称。城あとには大本教の本部が置かれている。国道9号線,JR山陰本線が通じ,京都への通勤者も多い。木材・木製品,繊維などのほか,近年は電気機械器具工業が盛ん。市街北部の大堰川にかかる保津橋のたもとからは,春から秋まで保津川下りの舟が出,西方の山間部には湯ノ花温泉がある。
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世界大百科事典(旧版)内の亀岡の言及

【亀山】より

…丹波国桑田郡の城下町(現,京都府亀岡市)。口丹波の交通の要地。…

【亀山藩】より

…石門心学の石田梅岩,医師山脇東洋,画家円山応挙らが藩内よりでている。1869年(明治2)版籍奉還のとき,伊勢国亀山との混同を避けるため亀岡と改称し,71年亀岡県を経て京都府に編入。【野田 只夫】。…

※「亀岡」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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