強頸断間(読み)こわくびのたえま

日本歴史地名大系 「強頸断間」の解説

強頸断間
こわくびのたえま

[現在地名]旭区千林二丁目

「日本書紀」仁徳天皇一一年一〇月条に、武蔵の人強頸が人柱にされたとある淀川茨田まんだ堤の決壊地(断間)。同書によれば茨田堤には二ヵ所の決壊個所があり、一を強頸断間、一を衫子ころものこ断間といったという(寝屋川市の→茨田堤。強頸断間跡は千林せんばやし村字一の絶間いちのたいま衫子断間跡は茨田郡太間たいま(現寝屋川市)に比定されているが確証はない。

千林付近にはかつて茨田郡に属した絶間たえま池があったといわれ、享保八年(一七二三)の摂州榎並河州八個両庄之地図や「摂津志」「摂津名所図会」「摂津名所図会大成」も当地にあてる。「肥後集」に

<資料は省略されています>

「六条院宣旨集」に

<資料は省略されています>

がみえるように、古来歌の名所ではあったが、江戸時代にはすでに枯渇していた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

[名](スル)二つ以上のものが並び立つこと。「立候補者が―する」「―政権」[類語]両立・併存・同居・共存・並立・鼎立ていりつ...

連立の用語解説を読む