日本歴史地名大系 「彦部村」の解説
彦部村
ひこべむら
[現在地名]紫波町彦部
北上川左岸、同川支流の彦部川流域に開けた平坦地と、南東方に連なる山間丘陵地を占める。東は
寛永四年(一六二七)の南部利直知行宛行状(三翁昔語)に村名がみえ、彦部村のうち鳩居三八石余と新屋敷八石余の合計四六石余が、八戸弥六郎直義(遠野南部氏)の知行地となった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
北上川左岸、同川支流の彦部川流域に開けた平坦地と、南東方に連なる山間丘陵地を占める。東は
寛永四年(一六二七)の南部利直知行宛行状(三翁昔語)に村名がみえ、彦部村のうち鳩居三八石余と新屋敷八石余の合計四六石余が、八戸弥六郎直義(遠野南部氏)の知行地となった。
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