彼杵郡(読み)そのきぐん

日本歴史地名大系 「彼杵郡」の解説

彼杵郡
そのきぐん

肥前国の南西部に位置する郡。大村湾に臨む一帯と、西彼杵にしそのぎ半島および長崎半島にわたる範囲で、南部から東部にかけて高来たかく郡、北部は松浦まつら郡と接する。西の沖合に松浦郡に属する五島が連なる。郡域は現在の西彼杵郡と長崎市、東彼杵郡・大村市および佐世保市南部にわたる(天保郷帳による)。郡名に異記はないが、彼杵庄には彼木などの表記がある。訓は「和名抄」東急本に曾乃支の訓があり、中世にも「そのき」などとみえ(永仁五年八月日「御所大番役定書」九条家文書)、江戸時代後期にも「そのき」が通用していた(「寛政重修諸家譜」巻七四六)

〔古代〕

郡域では弥生時代前期に朝鮮半島系の無文土器が導入されているが(長崎市の深堀遺跡)、他方では突帯文系土器や黒髪式土器など中九州系文化とのつながりが想定され、また南海産の貝輪をもつ人骨も注目される(外海町の出津遺跡)。大村市の富の原とみのはら遺跡では弥生時代中期の竪穴住居跡のほかに箱式石棺墓などが検出されたが、少数の甕棺から鉄戈・鉄剣が発見され、また北部九州系の丹塗土器を用いた祭祀を行っていることからも、有力者層の存在が想定される。東彼杵町の白井川しらいがわ遺跡では弥生時代終末期から古墳時代初頭にかけての竪穴住居跡が検出され、後漢鏡片が出ていることから拠点的な集落とされる。東彼杵町の前方後円墳であるひさごつかでは石棺式石室から鉄鏃・鉄剣・製鏡などが発見され、五世紀前半に有力層の存在があったことを示す。外海そとめ町の五世紀代とされる宮田みやた石棺群では一五基の石棺が検出され、鉄製刀子・珠文鏡・土師質土器・勾玉・ガラス小玉などとともに石枕が発見された。大村市の六世紀後半と推定される鬼の穴おにのあな古墳では巨大な石材が玄室に用いられ、同時期の玖島崎くしまざき古墳群は一三基が確認され、鉄器・須恵器・装身具などが出ている。時津とぎつ町の大村湾にある前島まえじま古墳群は六世紀中頃から八世紀代までの使用が考えられ、生活の主舞台は前島ではなく、対岸にあったものと想定される。

肥前国風土記」彼杵郡条によれば、景行天皇が豊前宇佐宮の行宮にいたとき、神代直を当郡の速来はやき(現佐世保市)に派遣して土蜘蛛を捕らえさせた。その際、土蜘蛛の健津三間は石上の神の木蓮子玉・白珠を献上し、篦簗もまた美しい玉を献呈したことから、天皇が具足玉の国と称したので、のち転訛して彼杵郡になったという。九州には巫女として地域をまとめる女性の有力者が多くいたとされるが、同風土記にみえる土蜘蛛の「速来津姫」「浮穴沫姫」も同様の存在であったと考えられ、それぞれ早岐・浮穴うきあなを拠点としていたと想定される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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