後興善町
うしろこうぜんまち
[現在地名]長崎市興善町・金屋町
新興善町の南にある長崎内町の一ヵ町で、陸手に属した。町並は東西に形成され、西は堀町に接する。町名は興善町(本興善町)の起立後に成立したためで、文禄元年(一五九二)豊臣秀吉の直轄領となり、地子銀が免除された。寛永長崎港図では内町として「後興善町」と記される。寛永一九年(一六四二)の平戸町人別生所糺によれば、平戸町の池本小四郎の奉公人かめは肥前鹿島(現佐賀県鹿島市)生れで、寛永四年「長崎後興善町」に来たという。寛文三年(一六六三)の大火で二〇三間・家数三六を焼失(寛宝日記)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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