朝日日本歴史人物事典 「後藤宗印」の解説
後藤宗印
生年:天文14頃(1545)
江戸前期の長崎町年寄,キリシタン。武雄(佐賀県武雄市)の後藤貴明の一族。長崎に移住して名を後藤惣太郎と改め,のち庄左衛門と称す。自治制をしいていた長崎の指導的町人4人頭人のひとりで,文禄1(1592)年頭人から町年寄と改称。ボルネオ,シャムとの朱印船貿易も営んだ。キリシタンとなり,洗礼名はトメ。慶長5(1600)年よりキリシタン版国字本の印刷をイエズス会より委嘱され,『おらしよの飜訳』『どちりな・きりしたん』『ひですの経』を出版,いずれも現存する。寛永3(1626)年キリシタンの故をもって長崎奉行水野河内守守信に捕らえられ,江戸の獄中にて病没。長崎皓台寺に葬られる。<参考文献>天理図書館編『きりしたん版の研究』
(宮崎賢太郎)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報