徐松(読み)じょしょう(その他表記)Xu Song; Hsü Sung

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「徐松」の意味・わかりやすい解説

徐松
じょしょう
Xu Song; Hsü Sung

[生]乾隆46(1781)
[没]道光28(1848)
中国,清中期の学者。順天府大興県の人。字は星伯。嘉慶 10 (1805) 年の進士。湖南学政のとき罪に坐し,新疆イリ (伊犂) に流刑となる。このとき実地踏査に基づき,西域研究に欠かせない名著『西域水道記』 (5巻) をはじめ,『漢書西域伝補注』 (2巻) ,『新疆賦 (西域賦) 』 (1巻) のいわゆる西域三種 (徐星伯三種) を著わす。なお松 筠が同 25年に撰した『新疆識略』 (12巻) は,松 筠が汪廷楷,祁韻士らに作らせた『西陲総統事略 (伊犂総統事略) 』を徐松が訂正したものである。道光1 (21) 年帰国し,その後,諸官歴任ののち陝西省楡林府の知府となったが,まもなく死去。著書には『唐両京城防考』『唐登科記考』などもある。

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世界大百科事典(旧版)内の徐松の言及

【会要】より

…それらは板木に彫られることなく後に散逸したが,明代の《永楽大典》中にかなり多く採録されていた。 19世紀のはじめ《全唐文》を編纂した徐松(1781‐1848)はその副産物として《永楽大典》の中の宋代の会要をすべてぬき出して《宋会要輯稿》を作り,1936年これが北京図書館から200冊の影印本として出版された。この徐松輯本《宋会要》は,それ以後の宋代制度,経済史研究の飛躍的進展に大きな役割を果たしている。…

【宋会要輯稿】より

…中国,宋代の諸制度に関する詔勅,条例などを分類,集成した書物。清の徐松(1781‐1848)の編。《宋会要》とも簡称する。…

【敦煌莫高窟】より

…1900年(光緒26)道士王円籙によって,一小窟(現在の第17窟)から4~5万点にのぼる古写本等の古文書や画巻が発見され,世界的に敦煌学が起こるきっかけとなった。莫高窟は1737年(乾隆2)常鈞が《敦煌雑抄》で紹介しているが,その学術研究は1823年(道光3)徐松が《西域水道記》に碑文と銘を記録し,莫高窟の草創を考証したのが始まりである。1907年以来イギリスのM.A.スタインは数回にわたり経巻・古写本約7000点,画巻500点余,刺繡150点余を持ち去った。…

※「徐松」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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