精選版 日本国語大辞典 「新疆」の意味・読み・例文・類語
しんきょうシンキャウ【新疆】
- 中国の北西部を占める新疆ウイグル自治区の旧称。清の乾隆時代中国領となり、一八八四年省が置かれた。中華民国時代には東トルキスタン共和国をたて独立の気運が興ったが、一九五〇年中華人民共和国に吸収され、五五年ウイグル族の自治区となった。
中国西北地区の自治区。略称は新または新疆。面積約165万平方キロメートル、人口1791万5459(2000)。自治区政府所在地は中北部のウルムチ市。ウルムチ、カラマイ、シーホーツ、カシュガルなど19市のほか、トゥルファン、ホータン、アクスなど8地区、バインゴル・モンゴル、キズルス・キルギス自治州など5民族自治州、62県6民族自治県がある。また、村に相当する行政単位の「郷」には、50余の「民族郷」があり、少数民族の占める割合が高い。なかでも、ウイグル族が約47%を占め、さらに中華人民共和国成立前より、漢民族のほかカザフ、回(かい/フイ)、キルギス、モンゴル、シボ、タジク、満、ウズベク、ロシア、ダフール、タタールなど全部で13民族が居住する。
[駒井正一]
北東はアルタイ、北西はジュンガル界山、天山(てんざん/ティエンシャン)、南西はカラコルム、南は崑崙(こんろん/クンルン)、アルトゥン、東は北山の各山脈に囲まれる。中央部を東西に天山山脈が走り、南北に分ける。北は北新疆、主としてジュンガル盆地、南は南新疆、主としてタリム盆地で、トゥルファン、クムル地域を東新疆とする場合もある。北東部のアルタイ山脈は標高3000メートル以上で、草原が広がり、中腹には針葉樹林帯もみられる。イルティシ川は自治区唯一の外流河川で、山麓(さんろく)を西流しカザフスタン領に入る。ジュンガル界山は断層山脈で、山間には陥没盆地が多く草原が発達する。
この二つの山脈と南の天山山脈に囲まれた地域がジュンガル盆地である。ほぼ三角形で東高西低の地形を示す。盆地内には砂漠、ゴビ(礫質(れきしつ)砂漠)が多く、なかでもグルバンテュンギュト砂漠は盆地中央部を占め、南のタクリマカン砂漠に次ぐ中国第二の砂漠である。西部や西北部の河谷や山あいから、やや温潤な西風が入り込むため、植生も比較的多く、固定、半固定砂丘が大部分を占め、草原が広がる。その他盆地内にはウスゥなどの砂漠、北部にはウルングル湖などの湖が点在する。天山山脈は標高4000~6000メートルで、北、中、南の3系に分けられる。北天山山脈は比較的雨量が多く氷河が発達し、ボグダ山は5445メートルで山中に天然の池がある。中天山山脈には山間盆地が多い。西端のイリ河谷盆地は自治区でもっとも湿潤な地域で、草原や耕地が広がる。南天山山脈は乾燥しており、森林はあまり成長していない。トムール峰(托木爾峰、7443メートル)が最高峰である。東方にはトゥルファン盆地がある。南のアイディンコル湖は海面下154メートルで中国最低地点である。北、南は山脈で閉ざされるため、フェーン効果も加わり高温で、火州の名がある。南のタリム盆地は自治区面積の半分以上を占める。盆地中央に広がるタクリマカン砂漠は面積27万平方キロメートル、中国最大の砂漠で、移動砂丘がほぼ85%を占める。タリム河、ホータン河など内陸河川も多く、盆地周辺の山麓にはゴビ礫質(れきしつ)やオアシスが発達する。南西、南縁はカラコルム、崑崙、アルトゥン各山脈が延びる。5500~6000メートルで高冷地砂漠や氷河が多い。チョゴリ峰(K2峰、8611メートル)は世界第二の高峰である。
[駒井正一]
乾燥地域ではあるが、水利、灌漑(かんがい)により農業が発達している。トゥルファン、クムル両盆地では、ポンプによる灌漑のほか、地下水道を掘って縦井戸と組み合わせ、天山山系の水を耕地にまで引くカレーズ(坎児井(カンアルチン)、地下水路式灌漑施設、アラビア語でカナートという)による灌漑を施し、小麦やワタを栽培している。ハミウリ(瓜)とブドウは特産である。ジュンガル盆地南端では、河川やオアシスの水で灌漑を施し、1950年代に解放軍によって開墾された耕地も大きく広がる。のち、軍の一部が屯田・定住し、農業などの生産活動を行う「新疆生産建設兵団」が組織され、シーホーツやクイトゥンなどで開墾・耕作が進んだ。これらの都市のほか、ウスゥなどでは小麦、トウモロコシのほか一部で米も栽培し、ワタは北西内陸ワタ作地帯の主産地を形成している。なお、シーホーツは新疆の開拓戦略のうえで重要であるため、自治区直轄の行政単位に指定されている。天山山系では西部のイリ河谷平野が農業の中心で、クルジャ付近では小麦、トウモロコシ、米や果樹などが栽培される。また、南麓のタリム盆地北縁でも同様に農業が盛んで、アクスのクルミ、クチャのアンズ、コルラの香梨(こうり)などの特産もある。牧畜は中国有数の生産地域で、アルタイ山系、天山山脈西部のイリ河谷、サイラム湖付近には天然の牧場が発達し、カザフ族などによるヒツジやウマの飼育が盛んである。ブルルトカイ大尾羊、新疆細毛羊やイリ馬はとくに有名である。また、天山山脈北麓や南麓のオアシス地域でも放牧が活発に行われている。各地には皮革、カーペット、花帽子などの伝統的手工業があり、クルジャ、カシュガルなどでは、農業機械、化学、セメントなどの近代工業も発達、シーホーツやアクスなどでは、羊毛を原料にした紡織工場もある。1950年代からはカラマイ、マイタグ、さらに1990年代には外資を利用してタリム盆地に油田が開発された。タリム盆地では天然ガスの埋蔵量が多く、クラ、ホータン、コクアなどにガス田が開発されている。また、ウルムチやクムルには炭田が分布しており、これらの天然資源の多くは他の省へ供給されている。ウルムチは新疆最大の工業基地であり、カラマイ油田とパイプラインで結合した石油精製・化学工業や火力発電所、製鉄、機械工業などが集中するほか、周辺の農村部での郷鎮企業(地方の地場産業)も活発である。そのほかホータン、ケリヤなどの玉(ぎょく)は特産である。
交通については、北京(ペキン)その他から拠点のウルムチに集中し、自治区内主要都市とを結ぶ国内線や西アジア、アフリカ、ヨーロッパ方面とつながる国際線の空路がある。また、ウルムチを起点に蘭新(らんしん)鉄道が北東部を横切り、トゥルファン駅からは南疆線がカシュガルまで通じる。1990年代には、ウルムチから西に延びる北疆線が国境のアラタウ山を経てカザフスタンとつながり、遠くモスクワやベルギー北部のアントウェルペン、トルコのイスタンブールまでを直結する「ユーラシア・ランドブリッジ」を実現した。ジュンガル盆地、タリム盆地やロプノール付近を除いては、青新、新蔵などの線を核にして、自治区各地に自動車道が四通する。
20世紀に入り、孫文は甘粛(かんしゅく/カンスー)や新疆などで発見されたばかりの石油など西北の「自然の富源」の開発構想を提示した。
世紀末の2000年には、新疆をはじめチベット自治区、重慶(じゅうけい/チョンチン)市、陜西(せんせい/シャンシー)、四川(しせん/スーチョワン)、雲南(うんなん/ユンナン)省など10省(自治区、市)を対象とし、東部沿海地域との格差是正を目的とする「西部大開発」が開始された。
新疆は未開墾の土地や地下資源が多いため、東部と異なった開発の構想が必要である。地元の原料を利用した石油化学工業などの発展や、乏しい水を確保するためタリム河などの水利工事、都市のインフラ整備のほか、東部と直結した天然ガスパイプライン、鉄道の敷設などが求められている。
[駒井正一]
新疆はいわゆる西域(せいいき)とよばれた地域で、漢代には亀茲(きじ)、車師(しゃし)、且末(しょまつ)、于闐(うてん)などの国があり、西域都護府が置かれた。その領域はキルギス、カザフスタン両国の西部にも及んだ。唐代には安西都護府、北庭都護府が置かれ、17世紀にはモンゴルが北部を支配、一時、清(しん)と対峙(たいじ)した。19世紀なかば、清は新疆に総統(のち主席)を設け、伊犂(イリ)などには将軍を配置し、1884年には新疆省を設けた。ウイグル族をはじめとするイスラム教徒は、これに反対して激しい抵抗運動を起こしたが、抑えられた。1911年の辛亥(しんがい)革命以降の新疆は、1944年に国民党が統治実権を握るまでは、おもに楊増新(ようぞうしん/ヤンヅォンシン)や盛世才(せいせいさい/ションシーツァイ)などの軍閥による統治時代であった。そのなかでもイスラム教徒の一部は、分離独立の運動を行ってきた。1933年には、イスラム教徒がカシュガルを中心とする南新疆を支配し、「東トルキスタンイスラム共和国」を名のったが、翌年には制圧された。また、1944年にも、少数民族の居住者の多い伊犂の中心伊寧(いねい)(現クルジャ)でイスラム教徒の蜂起があり、11月には解放組織の大会を開き、「東トルキスタン共和国」臨時政府の成立を宣布したが、1946年迪化(てきか)(現ウルムチ)で、国民党政府との「新疆連合省政府」を建てることで「鎮静」化された。
中華人民共和国成立後も、1955年に北新疆で「東トルキスタン共和国」を宣言した事件があり、終結後の同年、現在の新疆ウイグル自治区が成立した。その後1997年には、クルジャで大規模なデモが組織されるなど、新疆におけるイスラム教徒の少数民族の一部には、なお根強い中央からの分離独立の動きがある。中央政府は、民族の分裂に反対し、中国の統一を守るとする立場で強く対応するとともに、少数民族居住区への資本の投下、少数民族区域自治制度の改革などを進めている。
[駒井正一]
『中国人民美術出版社編、楊国光訳『中国カラー文庫(1) 新疆の旅』(1981・美乃美)』▽『陳舜臣他著『西域巡礼』(1980・平凡社)』▽『権藤与志夫編著『ウイグル その人びとと文化』(1991・朝日新聞社)』▽『片岡一忠著『清朝新疆統治研究』(1991・雄山閣)』▽『張承志著『回教から見た中国』(1993・中央公論社)』▽『今谷明著『中国の火薬庫――新疆ウイグル自治区の近代史』(2000・集英社)』
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古くは中国から西域と呼ばれた地域の主要部分。東トルキスタンとほぼ領域が重なる。現在,トルコ系ムスリムのウイグル人を最多居住民族とする。1759年に清朝に征服されてその統治下に置かれたが,19世紀後半にトルコ系ムスリムの大反乱が発生し,ヤークーブ・ベグ政権が成立した。反乱鎮圧後の1884年に省制が施行され,公式に新疆と呼称されるようになった。辛亥(しんがい)革命後は,楊増新(ようぞうしん),金樹仁(きんじゅじん),盛世才(せいせいさい)という漢人支配者のもとで独立的に維持された。1933年に東トルキスタン・イスラーム共和国,44年に東トルキスタン共和国と,トルコ系民族の民族運動による国家が樹立されたが,49年に中華人民共和国に統合された。55年に新疆ウイグル自治区が成立。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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…日本では,前者の用法をやや拡大して,東・西トルキスタンないし中央アジアの意味で用いられる場合が多い。中国では,1884年(光緒10)の新疆省の成立以後,東トルキスタンを従来の〈西域〉と並んで〈新疆〉と呼ぶ場合が多い。 歴代の中国王朝にとって西域はまず第1に匈奴に始まる北方遊牧民の活動を牽制するための軍略上の要地であった。…
※「新疆」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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