人形浄瑠璃。同名の曲に2種ある。(1)時代物。5段。紀海音作。1716年(正徳6)1月推定,大坂豊竹座初演。絵尽しによれば豊竹上野少掾・竹本喜代太夫・竹沢権右衛門など出演。頼家を津山介十郎,若狭の前を藤井小三郎。源頼家とその外戚比企能員(よしかず)の謀反を描く。能員は京の遊女2人を養い,1人を若狭の前として頼家の室とし,外戚の権力を振るう。あと1人の浅茅(あさぢ)が畠山重保と恋仲なのを利用して朝比奈三郎に嫁入させ,和田・畠山両家を不和にさせ将軍家を横領しようと計る。しかし若狭の前の兄の告白で計略は破れ,能員は滅亡する。敵を尋ねる浅茅と若狭の前の兄が鳥追と大黒舞の姿にやつしたのが評判となり,《今昔操(いまむかしあやつり)年代記》によると,この浄瑠璃は大当りし,大黒舞の節事を稽古する者が多かったという。義太夫節の普及の一翼を担った点に文化史的意義が認められる。その後も上演されたが,海音の秀作とはいえず,特に見どころもない。歌舞伎では1719年(享保4)春,京大和山座初狂言に上演したのが早く,山村歌之助が大当りを取り,片山小左衛門の朝比奈役が江戸風荒事を見せた。(2)時代物。10段。通称《鎌三》。作者不明。原拠と思われる《近江源氏 太平頭鍪飾(たいへいかぶとのかざり)》(1770年5月初演)の早大演劇博物館蔵の写本《太平金兜錺(たいへいかぶとのかざり)》には〈作者近松半二,竹本三郎兵衛〉とあり,これを双木千竹・吉田鬼眼が増補(本曲正本の奥付)したのがこの作品と思われる。81年(天明1)3月江戸肥前座初演。正本に詳細な出演者を掲載。なかでも最も人気を得たのは七段目〈三浦別れの段〉で,その切に豊竹氏太夫・三味線鶴沢蟻鳳が出演。題材は大坂夏の陣で,《近江源氏 太平頭鍪飾》が上演を禁止されたので,本作では鎌倉時代のこととして,登場人物も家康を北条時政,秀頼を源頼家などとしている。北条時政の娘の時姫が坂本城方の三浦之助と許嫁の関係にあるという設定で,時姫が父時政の首を斬れば三浦之助と結婚できるという孝と恋との板挟みになって苦しむ悲劇が中心の構想。この時期では大坂夏の陣がいまだ世人の記憶に新しく,演劇界でも鎌倉の世界に仮託して大坂の陣を脚色することが多かった。《近江源氏先陣館》(1769),《太平頭鍪飾》,《佐々木高綱武勇日記》(1778),《鎌倉三代記》(1781),《花飾三代記(はなかざるさんだいき)》(1781)と一連の関連作が相次いで現れ,上演禁止にもならず,人気を博した本曲は,演劇史・文化史的意義が大きい。歌舞伎では94年(寛政6)9月に大坂浅尾奥次郎座(角の芝居)での上演が早く,三浦之助を2世嵐吉三郎,和田兵衛女房・藤三女房を2世山下金作,高綱・藤三を4世市川団蔵,時政・奴関助を山下次郎三,宇治の方・篝火を初世藤川友吉,時姫を2世中村のしほ,三浦母・もとよし四郎を関三右衛門(のちの初世関三十郎),和田兵衛・摺針太郎左衛門を初世浅尾為十郎など。人形浄瑠璃,歌舞伎とも現在も七段目中心に舞台生命を保つ。
執筆者:横山 正
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浄瑠璃義太夫節(じょうるりぎだゆうぶし)。時代物。10段。近松半二作と推定。1781年(天明1)3月、江戸・肥前座初演。大坂夏の陣を鎌倉時代に仮託して脚色、作中の源頼家(よりいえ)が豊臣秀頼(とよとみひでより)、北条時政(ときまさ)が徳川家康、時姫が千姫、三浦之助が木村重成(しげなり)、佐々木高綱が真田幸村(さなだゆきむら)を暗示する。半二作『近江源氏先陣館(おうみげんじせんじんやかた)』の続編にあたる作で、通称「三代記」「鎌三(かまさん)」。七段目の「絹川村」(三浦別れの段)だけが後世に残り、歌舞伎(かぶき)でもよく上演される。源頼家と北条時政の合戦の最中、頼家方の三浦之助は、母が大病と聞いて戦場から絹川村の閑居に駆けつける。時政の娘時姫は三浦之助と恋仲なので、父に背いて看病にきている。三浦之助は時姫に時政を討てと命じ、姫は苦悩のすえに承知する。頼家方の軍師佐々木高綱は時政幕下の軍兵になりすまし、この閑居に忍んでいたが、姫の決心を知ると大いに喜び、三浦之助を励まして戦場に向かわせる。佐々木、三浦之助、時姫の3主役均等に見せ場があり、とくに恋のために父を討とうと決心する情熱的な時姫は「三姫」の一つとされる難役。
なお、紀海音(きのかいおん)に、頼家の外戚(がいせき)比企(ひき)判官の謀反を描いた同題の浄瑠璃があり、1718年(享保3)正月、大坂・豊竹(とよたけ)座で初演されたが、上演は絶えている。
[松井俊諭]
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出典 日外アソシエーツ「歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典」歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典について 情報
…このような方法はもっぱら人形浄瑠璃において確立されたもので,1719年(享保4)1月大坂豊竹座の《義経新高館(よしつねしんたかだち)》以下,35年2月豊竹座の《南蛮鉄後藤目貫(なんばんてつごとうのめぬき)》,69年(明和6)12月大坂竹本座の《近江源氏先陣館(おうみげんじせんじんやかた)》,翌年5月竹本座の《太平頭鍪飾(たいへいかぶとのかざり)》,90年(寛政2)11月竹本座の《恋伝授文武陣立(こいのでんじゆぶんぶのじんだて)》,94年10月大坂北堀江市の側芝居の《日本賢女鑑(につポんけんじよかがみ)》,1800年12月大坂道頓堀東芝居の《鳰湖高名硯(におのうみこうみようすずり)》などが作られた。なお,そのうち,《南蛮鉄後藤目貫》と《太平頭鍪飾》とは幕府の忌諱に触れて興行禁止を命ぜられ,その正本も刊行されなかったが,のちに前者は1744年(延享1)3月江戸肥前座の《義経新含状(よしつねしんふくみじよう)》,54年(宝暦4)7月豊竹座の《義経腰越状》(以後も2度にわたる改訂あり)など,後者は81年(天明1)3月江戸肥前座の《鎌倉三代記》などに改作,上演されている。 一方,歌舞伎では,1720年大坂嵐三右衛門座(角の芝居)で前述の《義経新高館》が脚色されたことをはじめとして,おもに人形浄瑠璃からの改作物が行われていたが,ほかに72年(安永1)3月大坂市山助五郎座(中の芝居)の《近江源氏講釈(おうみげんじしかたこうしやく)》などの独自作もある。…
※「鎌倉三代記」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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