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徐錫麟 じょしゃくりんXu Xi-lin; Hsü Hsi-lin

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

徐錫麟
じょしゃくりん
Xu Xi-lin; Hsü Hsi-lin

[生]同治12(1873)
[没]光緒33(1907).5.26. 安慶
中国,清末の革命派の指導者。浙江省紹興の人。字は伯そん。号は光漢。紹興で数学教師となり,光緒 29 (1903) 年に来日したが,同郷の陶成章らの革命思想の影響を受けて帰国し,翌年光復会に入会した。紹興陶成章らと大通体育学堂を設立し,会党の組織,教育にあたった。また革命を有利に進めるため捐納 (買官) により安徽試用道となり,同 33年5月 26日安慶,紹興の同時蜂起をはかって安徽巡撫恩銘を射殺したが,蜂起は失敗し即日処刑された。

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世界大百科事典内の徐錫麟の言及

【光復会】より

…初代会長は蔡元培であったが,終始,章炳麟の強い影響下にあった。ほかに,陶成章,徐錫麟(じよしやくりん),秋瑾らも有名で,広く江浙一帯の教育界,商業界,会党からの支持を得ていた。大通学堂は,その宣伝および教育機関,会党の竜華会(りゆうげかい)は,主要な実戦部隊であった。…

【秋瑾】より

…下田歌子を校長とする青山実践女学校で教育,看護学などを学ぶかたわら,宋教仁,陶成章(1878‐1912)らの革命派人士と交わり,馮自由の紹介により中国同盟会に加入した。これより先,一時帰国した際,母方の従兄徐錫麟(1873‐1907)を介して光復会に入会していた。革命と婦人の解放に奔走するその後の短い生涯の一歩を踏み出していたのである。…

※「徐錫麟」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

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