レーピン(読み)れーぴん(英語表記)Илья Ефимович Репин/Il'ya Efimovich Repin

日本大百科全書(ニッポニカ) 「レーピン」の意味・わかりやすい解説

レーピン
れーぴん
Илья Ефимович Репин/Il'ya Efimovich Repin
(1844―1930)

ロシア画家ウクライナハリコフ(ハルキウ)近郊チュグーエフに屯田兵の子として生まれる。幼少より画才に恵まれ、16歳のときには聖像画家組合に属してウクライナ各地を旅して聖像画を描いた。1863年、自ら稼いだ金をもってサンクト・ペテルブルグへ赴き、画家クラムスコイを知り、翌年から美術アカデミーに学ぶ。1871年『ヤイルの娘の復活』で金メダルを受けて卒業。この間『ボルガの舟曳(ひ)き』を描く。1873年イタリアを経てパリへ行き、留学中のポレノフVasily Polenov(1844―1927)、サビツキーKonstantin Savitsky(1844―1905)らと交友する。1878年移動派展に『補祭長』を出品、話題となった。歴史画家スリコフの影響を受け、『皇女ソフィヤ』『イワン雷帝と息子イワン』『ザポロージエコサック』などの大作をはじめ、ムソルグスキーなど有名人の肖像画を描いた。移動派の有力メンバーであったが、最終的には協会の独善的な運営に反発して脱会した。1891年の秋、モスクワとペテルブルグで大個展を開いて成功を収め、美術アカデミーの教授に迎えられた。1900年には当時のフィンランドのクオカラ(現、ロシア連邦領レーピノ)に移り、創作に励んだ。1917年革命を受け入れず、宗教的テーマを描き続け、当時のソ連当局による帰国要請を断り、86歳の長い生涯を同地に終えた。今日、その主要作品はロシアの美術館を飾り、19世紀リアリズム絵画の巨匠として高く評価されている。

木村 浩]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「レーピン」の意味・わかりやすい解説

レーピン
Repin, Il'ya Efimovich

[生]1844.8.5. ロシア,チュグーエフ
[没]1930.9.29. フィンランド,クオカラ
ロシアの画家。1864年サンクトペテルブルグ美術アカデミーに入学。1871年奨学金を得てフランス,イタリアを旅行。帰国後,当時のナロードニキ思想の影響のもとにロシア社会を描写し,1878年移動展派に参加,同派の中心的画家として活躍した。1894年サンクトペテルブルグ美術アカデミーの歴史画教授。ロシア革命後はフィンランドに住み同地で没した。写実的な手法で歴史画,風俗画,肖像画を描き,ドラマチックな情景描写を得意とした。『ザポロージエのコサック』(1891,ロシア国立美術館)をはじめ,主要作品に『ボルガの船曳き』(1873,ロシア国立美術館),『1581年11月16日のイワン雷帝とその息子イワン』(1885,トレチヤコフ国立美術館)などがある。(→ロシア美術

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