朝日日本歴史人物事典 「御粥安本」の解説
御粥安本
生年:寛政6(1794)
江戸後期の和算家。「おかゆ・やすもと」ともいわれる。通称猪之介,甚八といい,字は君修,箸隻または太液と号した。尾張(名古屋)藩士。坂部広胖の弟子菊間直之に従い,のち日下誠の門下生となった。『算法浅問抄』(1840)をはじめ多くの和算書を書き,また刊行した。白石長忠の『社盟算譜』文政9(1826)年の下巻第30問は御粥の選題で,不定方程式(解が一意に定まらない方程式)x3+y3+z3=u3の解を載せている。17世紀のフランスの数学者フェルマ(P.de Fermat),18世紀のスイスの数学者オイラー(L.Euler)などの研究の内容,時期に大差のないことは特記すべき事であり,当時の日本人の数学的才能は世界に誇れるものであったことを示している。
(道脇義正)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報