神道(しんとう)教団。旧教派神道十三派の一つ。黒住宗忠(むねただ)を教祖とする。備前(びぜん)国今村宮(岡山県岡山市北区)の禰宜(ねぎ)宗忠が、1814年(文化11)34歳のとき得た宗教体験をもとに、講釈および禁厭(きんえん)(まじない)活動を行い、信者を得たのに始まる。初期は備前、美作(みまさか)(岡山県)の武士階級を中心に信者が形成されたが、宗忠の没後、石尾乾介(いしおけんすけ)(1775―1859)、河上忠晶(かわかみただあき)(1795―1862)、時尾宗道(ときおむねみち)(1817―1862)、赤木忠春(あかぎただはる)(1816―1865)、星島良平(ほしじまりょうへい)(1835―1878)、森下景端(もりしたけいたん)(1824―1891)のいわゆる六高弟を中心とする布教活動により、教線は中国、四国、近畿へと拡大していった。なかでも赤木は、京都布教において二条家、九条家など公卿(くぎょう)層の信頼を得、1862年(文久2)には神楽岡(かぐらおか)に宗忠神社を創建するに至っている。幕末から明治維新にかけて信者はいっそう増加し、1872年(明治5)に黒住講社が明治維新政府によって公認され、さらに1876年には、神道黒住派として教派神道のなかではもっとも早く一派独立し、宗忠の孫の黒住宗篤(むねあつ)(1848―1889)が初代管長に就任した。1882年に黒住教と改称して今日に至っているが、明治後半以降は、教勢は以前ほど振るわなくなった。天照大御神(あまてらすおおみかみ)を中心に置き、神道信仰に立脚しながら、布教・教化の方法が明確であったという意味において、もっとも教派神道の特質を備えていた教団の一つということができる。本部は岡山市北区尾上(おのうえ)。教会数316、布教所数13、教師数1491、信者数29万7545(『宗教年鑑』平成26年版)。ほかに神社が二つある。
[井上順孝]
教派神道の一派。1814年(文化11)に黒住宗忠が開教したもので,76年に独立教派として政府から認可された。黒住教は,幕藩体制の解体期に成立した民衆宗教のなかで,天理教,金光(こんこう)教に先行して教義を確立し,江戸末期に教団を形成した。72年に黒住講社として政府から認可され,76年に神道修成派とともに教派神道として別派独立を許可されて神道黒住派と称し,82年に神道黒住教と改称。教義は,教祖黒住宗忠の天命直授(じきじゆ)をふまえたもので,天照大神を万物の根源となし,人間はその分身で,神人不二(ふに)とする。その神観は天照大神を宇宙の最高神となし,人間は天照大神にすべてをまかせることで,家内,一門,国家の平安繁栄を得られるとし,現実のいっさいの矛盾や苦悩を心の持ち方で変えることで克服し,解消できるとなし,毎日を陽気に暮らすことが肝要であると説いた。宗忠は信者の家を会場とした会席(明治維新後には講席)にみずから出席して神拝・説教・祈禱を行った。会席による布教は,出席者が身分にかかわりなく先着順に着席したように,人間はすべて天照大神の子として平等であるという民衆宗教たる性格をあらわしたもので,教勢発展に大きな役割をはたした。1841年(天保12)に宗忠の長男黒住宗信が跡目をついだころより教勢は伸び,岡山藩士をはじめ備前・備中・美作各国の地主・自作農・有力町人層に信者が拡大,弘化年間に教団組織を確立した。門人赤木忠春は京都で祈禱をつうじて日本の祖神たる天照大神の信仰を説いた。62年(文久2)に京都神楽岡に創建された宗忠神社は,66年(慶応2)に勅願所となり,幕末の尊王討幕運動の一拠点となった。武士,地主・有力町人層,公卿らを支持者とした黒住教は,皇室の祖神とされた天照大神を最高神にしていたため,明治政府の天皇崇拝を旨とする〈大教宣布〉運動のにない手として,教部省による皇道宣布の国民教化運動に積極的に参加し,全国各地に布教を展開した。教典は教祖宗忠が書いた〈日々家内心得の事〉と和歌と書信を集めた〈黒住宗忠の歌〉。現在は,中国・四国・九州を主要な基盤とし,本部は岡山市北区尾上。
執筆者:大濱 徹也
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黒住宗忠(むねただ)を教祖とする新興宗教。神道十三派の一つ。宗忠は1814年(文化11)「天命直授(じきじゅ)」をうけて翌年から禁厭祈祷と講釈を中心とする布教活動を開始。46年(弘化3)「御定書」が作成されて信仰の心得が示された。50年(嘉永3)の宗忠没後も6高弟を中心に中国・京阪神地方で布教を行って教線の拡大に努め,公家や勤王の志士なども信者に加わった。明治期以後は,76年(明治9)神道黒住派として教派神道では最も早く組織化し,82年には黒住教と改称。1974年(昭和49)本部を岡山市上中野から同市尾上の神道山に移した。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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※「黒住教」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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